さらに「ピュタゴラスは、”ピロソポス(知恵を愛する人)という言葉を作り出し、それによって教団の目標を明らかにした」そうです。このピロソポスについて説明したピュタゴラスの言葉(注3)が紹介されていました。多くの人は「富への愛によって動かされ」たり、「権力と支配を欲する情熱に盲目的に引きずられ」たりしますが、「もっとも優れた人間は、人生の意味と目的とを見出すことに専心」し、「自然の神秘のヴェールを剥ごうと努力する」というのです。のです。ピュタゴラスは、このような人を”ピロソポス(知恵を愛する人)と言ったのです。ピュタゴラスを見直しました。
(注1)古代エジプトとバビロニアの人々は、単にものを数えることから一歩踏み出して、複雑な計算をこなすことができた。そのおかげで洗練された数量計算の体系を作り上げ、精巧な建造物を造ることも可能になったのである。しかしはっきり言ってしまえば、この人々にとっての数学は、実際的な問題を解決するための単なる道具でしかなかった。
(中略)
この両文明にとっては実際に役立つ計算方法が重要なのであって、なぜ正解が出るのかは問題ではなかったのである。(『フェルマーの最終定理』、サイモン・シン著、新潮社、2000年、 p31〜32)
(注2)彼の天才のおかげで、数は単にものを数えたり計算したりするために利用されるだけでなく、数それ自体としての価値を認められるようになったのである。ピュタゴラスは、具体的などれかの数がもつ性質や、数同士の関係、数が作るパターンを研究した。そうすることで、数というものは、われわれが手で触れ、目で見ることのできる世界とは独立に存在すること、そしてそれゆえに、数に関する研究は知覚につきものの不確かさをまぬがれていることを悟ったのである。それはすなわち、数を研究することによって、主観や偏見に左右されない、それまでのどんな知識よりもいっそう完全な真理を見出せるということにほかならない。(上同、p31)
(中略)
この両文明にとっては実際に役立つ計算方法が重要なのであって、なぜ正解が出るのかは問題ではなかったのである。(『フェルマーの最終定理』、サイモン・シン著、新潮社、2000年、 p31〜32)
(注2)彼の天才のおかげで、数は単にものを数えたり計算したりするために利用されるだけでなく、数それ自体としての価値を認められるようになったのである。ピュタゴラスは、具体的などれかの数がもつ性質や、数同士の関係、数が作るパターンを研究した。そうすることで、数というものは、われわれが手で触れ、目で見ることのできる世界とは独立に存在すること、そしてそれゆえに、数に関する研究は知覚につきものの不確かさをまぬがれていることを悟ったのである。それはすなわち、数を研究することによって、主観や偏見に左右されない、それまでのどんな知識よりもいっそう完全な真理を見出せるということにほかならない。(上同、p31)
(注3)レオン公、人生とは国民的祝典のようなものかもしれません。ある者は賞金を目当てに、またある者は名声と栄誉を得ようとしてここに集まってきます。しかし、ここで起こることすべてを観察し、理解しようとして来る者は多くありません。
同じことが人生についても言えましょう。というのも、あらゆる点で非の打ちどころなく賢い人間などおりませんが、知恵を愛する人は、自然の神秘への鍵としての知を愛することができるからです。(上同、 p34〜35)
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