2024年7月2日火曜日

フェルマーの最終定理・1

 放送大学の仲間たちと、「笑わない数学:フェルマーの最終定理」の録画番組を見た後、偶然に図書館で『フェルマーの最終定理』(サイモン・シン著、新潮社、2000年)を見つけ、読み始めました。録画を見たばかりということもあって、「アンドリューの証明の核心は、谷山=志村予想の名で呼ばれるアイディアを証明する」(注1)というところを読んでもスラスラ読めて、復習をしている感じでした。
 まだ「序」を読み終わったばかりですが、研究の発展には「新しい概念」の創造が欠かせないことがわかる記述(注1)があるなど、刺激的でワクワクするところもあって、これからの展開が楽しみです。これというのもまた、偶然にも概念の力を力説(注2)していた本『世界の見方が変わる50の概念』(齋藤孝著、草思社、2017年)を読んだばかりだったからかもしれません。

(注1)一つ、また一つと、この不案内な分野の知識を拾い上げるにつれて、私はフェルマーの最終定理こそはまさしく数学の中核なのではないか、それどころか、数学の発展そのものを映し出す鏡なのではないかとさえ思うようになった。フェルマーは、近代数論の父と呼ばれる人物である。フェルマーの時代以降、数学は発展・進化し、多くの難解な領城へと枝分かれした。それぞれの領域で生まれた新しいテクニックがさらに新領域を生み、テクニックを生み出すこと自体が数学の目的ともなった。こうして数世紀が過ぎ去り、フェルマーの最終定理はしだいに最先端の数学研究とは無縁のものに見えはじめ、いわば骨董品になったかの観があった。しかしいまや明らかなように、フェルマーの最終定理は今日もなお、厳然として数学の中核にあった
 フェルマーの出した問題をはじめ、数にまつわる問題には、楽しみで挑戦するパズルのようなところがある。そして数学者という人たちは、パズルを解くのが大好きなのだ。アンドリュー・ワイルズにとって、フェルマーの最終定理は特別なパズルであり、人生をかけた野望そのものだった。三十年前、町の図書館でこのパズルに出会った子供時代のアンドリューは、胸の高鳴りを覚えた。子供のころも大人になってからも、このパスルを解くことは彼の夢だった。そして一九九三年の夏、七年に及ぶひたむきな研究のすえに、ワイルズははじめて証明を公表した。その間の集中力と決意の固さには想像を絶するものがある。ワイルズが使用したテクニックのなかには、彼が研究に取りかかった時点ではまだ存在していなかったものも多い。また彼は、大勢の優れた数学者たちの仕事を動員し、アイディアをつなぎ合わせ、新しい概念を生み出した。それは他の数学者たちがあえて試みなかった、思い切ったやり方だった。バリー・メーザーがしみじみ語ったところでは、ある意味で数学者はみな、一人一人別の道をたどり、別の目標を立てながら、実はフェルマーの最終定理に取り組んでいたのだという。なぜならその証明には、現代数学のすべてが必要だったからである。ばらばらになったかに見えた数学の諸領域をアンドリューがふたたび結びつけたいま、この問題の誕生から今日までに起こった数学の分岐はすべて、起こるべくして起こったものに思えるのである。
 アンドリューの証明の核心は、谷山=志村予想の名で呼ばれるアイディアを証明することにあった。彼はこの予想を証明することにより、遠く隔たった二つの領域に新たな橋を架けた。多くの数学者にとって、数学の統一は至上の目標であり、アンドリューの証明は統一後の世界を垣間見せるものだった。彼はフェルマーの最終定理を証明するなかで、数論の領域で戦後得られた重要な成果を結びつけ、予想のピラミッドを積み上げてゆくための基礎を固めたのである。これはもはや、長年未解決だった数学パズルを解くといったレベルの話ではなく、数学そのものの限界を押し広げることにほかならない。数学がまだ幼かったころに誕生した、シンプルな形をしたフェルマーの問題が、このときを待ち続けていたかのようだった。(『フェルマーの最終定理』、サイモン・シン著、新潮社、2000年、p14〜16)

(注2)すぐれた概念は、先人の知恵と思考の結晶です。世界の見方を変え、思考を豊かにしてくれます。不安定になりがちな心しっかりさせてくれるものでもあります。(『世界の見方が変わる50の概念』、齋藤孝著、草思社、2017年、p15)
 概念を知って味方につけると、世界がくっきりと見えてきます。新しいものの見方で自分や社会や世界を見ると、これまで思っていたことと、ちがうことが見えてきて、今までモヤモヤしていたのがすっきりする。概念には人生をラクにしてくれる効用があります」(上同、p16)。

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