2024年7月20日土曜日

カントを追体験するということ

 カントの著作に感動して大きな影響をうけることを「カント体験」ということにします。カントの発見を「追体験すること」ということでもあります。そういう意味で、ゲーテや埴谷雄高も、「カント体験」したことになります。例えばこんな具合です。
 ゲーテは、カントより二十五歳下であるが、カントを読んで、『自分の生涯で最も楽しい時期をすごすことができた』とその感動を告白している。(『哲学からのメッセージ』、木原武一著、新潮選書、p13~14)

 埴谷雄高はカントの『純粋理性批判』を獄中で読み、本人の言葉によると「目眩むような戦慄を覚えた」彼は・・・・・精神的に生まれ変わったという意味のことを感激を込めて記している。(上同、p15)
 ここで、カント哲学の概要を知っておくのも大切かもしれません。ちょうどコンパクトに紹介されていました。
 哲学は人間学であるという主張は、当時においては、非常に画期的であったことは触れておく必要がある。カント以前、哲学がもっぱら相手にしていたのは神の存在というテーマであった。また、「世界市民的意味における哲学」と言ったのは、職業的哲学者のためではなく、教養を身につけた一般市民のための哲学という意味である。カントは啓蒙された市民のための哲学を考えていたのである。そして、市民を啓蒙するための哲学を考えていたのである。十六世紀末からヨーロッパにおこった啓蒙主義の流れは、十八世紀の末に頂点に達し、カントはその完成者となるのである。(上同、p19)
 どうでしょか。カント哲学は人間学であり、「市民を啓蒙するための哲学」だったのです。木原武一さんはもちろんのこと、ゲーテも、埴谷雄高も、しっかりと啓蒙された、ということになるのではないでしょうか。

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