2024年7月11日木曜日

悪魔の笑いをした裁判官

  再び、松川事件について書きます。といっても、1953年12月22日の二審判決で死刑が言い渡された、法廷での生々しい実況報告の紹介です。その中に「高橋陪席裁判官がニヤニヤ笑いだした。」「非情な悪魔の笑いだった。裁判官によるこの被告と傍聴人にたいする侮辱と非人間的なそぶりに、怒りが燃えたった」というところがありました。このような裁判官の話は聞いたことがありません。こうした松川事件の裁判記録は、このような裁判が日本において行われたという事実は、決して忘れてはならないことです。二度と、このようなことが起きないように、埋もれさせてはいけないことです。以下長文ですが紹介します。

 松川被告を救えという運動は、早くからおこっていたが、原審判決以降、それは一部労働組合、民主団体、進歩的学者、思想家、文学者のみならず、広く国民各層のあいだにひろがり、二審判決直前には、被告の無罪釈放を要求する国民の署名は五〇万にたっした。また弁護団なども、所属政党や各人の思想的立場をこえて、二審結審当時、一七八名を数えるにいたった。松川被告を救えという運動は、国内ばかりでなく、中国、ソヴェト、アメリカ、フランス、チェコススロバキア、ポーランド、ブルガリア、スエーデン、チュニジア、オーストラリア、インド、オランダ、イタリア、ニュージーランド、トリエステ、パキスタン、サイブライス島その他にわたり、それら各国の個人、民主団体、労働組合などから被告にたいする激励や、救援金や、また裁判所への釈放要求がよせられていた。二審判決日は、そのような内外の救援運動のたかまりとその注目の中に、迎えられたのである。
 当日の仙台は雪がふっていた。仙台高等裁判所は武装警官でかためられ、市の空には米軍のヘリコプターが飛び、街角には日本の警官のほかァメリカのPが姿をあらわして、まるで戒厳令をしていたような物々しさだった。この気狂いじみた異常な光景は、それだけで、判決に不吉な予感をあたえた。しかし、被告も、家族も、無罪釈放の用意をととのえて、公判廷にのぞんだ。二年にわたる長い審理――被告としてはいうべきことはいいつくし、弁護人も力をあげて弁護し、各種の鑑定、証言等から判断して、日本に司法権が独立しているものなら、無罪のほかの判決の仕方はありえなかったからである。
 当日はふる雪の中を、数千の人々が裁判所前の広場に集った。家族をふくむ傍聴券を手にすることのできた僅かな人たちだけが、警官が出動した裁判所の中、警官の垣の中を三階の法廷に進んだ。
 たちまち傍聴席と記者席は満員となり、カメラマンがひしめく中、二〇名の被告がその席につき、獄中のものと獄外のものとの間に強い握手が交わされた。そのとき、法廷時四〇分。
 やがて三人の裁判官が高い席についた。そして一〇時、鈴木裁判長は開延を宣すると、「これから確信をもって(原文は傍点)判決する。」と前置きをして、判決文構成の項目説明、ついで判決要旨の朗読をはじめ、「被告人鈴木信、同本田昇、杉浦三郎及び佐藤一を各死刑に処する…………」と主文を告げ、判示事実の朗読を続けていった。
 判決要旨の朗読に入ってから一八分後、あまりの判決にがまんのならなくなった被告たちの中から、佐藤一被告が発言した。
 「裁判長、それは何です、読んでいるのは………」
 「発言を禁止します。」
 「第一審の判決をいい加減にして、又まるででたらめをいっているんじゃないですか。」
 「最後まで聞いて下さい、発言を禁止します。」
 ついで鈴木被告、武田被告、岡田被告らが代りあって裁判長に抗議したが、裁判長はとりあわず、発言するなら退延を命じるといきまく。蓬田弁護人が中にたち、けっきょく裁判長は、鈴木被告を代表者にして、一〇分の発言をみとめることになった。
 鈴木被告が「真実は一つ、我々は実際やっていない。全くやっていない………」とさけぶとき、高橋陪席裁判官がニヤニヤ笑いだした。非情な悪魔の笑いだった。これ見て山本弁護人が、「笑うのはよくない。」と注意した。
 裁判官によるこの被告と傍聴人にたいする侮辱と非人間的なそぶりに、怒りが燃えたった。
 岡田被告「人を殺す判決に笑っている。」
 高橋裁判官「笑うのは僕のくせだ。」
 杉浦被告「我々は真剣だ。笑っているとは何事です。」
 岡林弁護人「裁判長は直接死刑に手を下すのではないでしょう、しかしいやしくも人に死刑の宣告をなすときにニタニタ笑うような裁判官に、我々は断固として抗議せざるをえない、顔を洗って出直して頂きたい。」
 それからなお裁判長と被告、弁護人との間に問答が重ねられ、その間に、判決にたいする被告の非難に、「それは見解の相違です。」と裁判長が口をすべらした。
 鈴木被告「見解の相違といいますがね、そうじゃないですよ。あなた達はそう思うといって も実際やっていないんですから。」
 裁判長「やっているかいないかは神様しかわかりません(原文は傍点)。」
 「確信をもって判決する。」「見解の相違だ。」「やっているかいないか神様しかわからない。」との三つの言葉こそ、二審判決のすべてを語るものであろう。
 なお問答が重ねられて、一一時一五分休廷、午後一時から開延されたが、午後の裁判所前の警戒は、午前にくらべてさらにひどく、一階から三階の法廷まで、全廊下を警官と看守が一列にならんで埋めつくしていた。
 裁判所前の広場では、判決にたいする抗議集会がもたれ、デタラメ裁判のやり直し、全員の無罪釈放、二〇人の労働者を救えという叫びがメガホンで叫びつづけられていた。(『松川事件 : 真昼の暗黒』、山田清三郎著、三一書房、1956年、p193~197)

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