2024年5月31日金曜日

平和を維持するために

 日本ではすでに過去のもの、四捨五入すれば一世紀前のものであった戦争が、今、同じ地球上で行われているのです。精神科医の帚木蓬生さんは、「前途を閉ざされて戦場に赴く若者ほど、可哀想な人間はいません」(注1)と、戦争の戦争の理不尽さを訴えていましたが、太平洋戦争で”あれだけの悲劇”を経験しながら、一世紀経っても戦争がなくならないのです。
 そして、『きけ わだつみのこえ』を編集した渡辺一夫さんは、序のしめくくりにジャン・タルジューの詩を引用し、「・・・・/生き残った人々は、誰のこと、何を、慨いたらいい?/死んだ人々は、もはや黙ってはいられぬ以上、/生き残った人々は沈黙を守るべきなのか?」と問いかけました。
 そうした問いに対し、
 平和を維持していくためには、声をあげ、声を大きくして、戦争だけは絶対に回避しなければならないのです。(『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』、帚木蓬生著、朝日新聞出版、2017年、p233)
 と答えています。
 そうなのです。「戦争だけは絶対に回避しなければならないのです
 そもそも、
 軍人の論理からすれば、どうにもならない難局を打破するには、戦争しかないのが当然です。針の穴に糸を通すようにして、何とか解決の道を探る、ネガティブ・ケイパビリティは、軍人の頭にはありません。
 先の戦争は、国の主権を軍部に乗っ取られた時点で、もう破滅への道を歩み始めていたのです。軍隊は、ネガティブ・ケイパビリティとは全く無縁の存在であり、それが大手を振って歩き出した先では、寛容も踏みにじられ、戦争が待っていると言っていいでしょう。
 平和を維持するためには、為政者は特に、そして国民ひとりひとりが、ネガティブ・ケイパビリティを発揮しなければならないのです。(『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』、帚木蓬生著、朝日新聞出版、2017年、p235236)

 (注1)戦争のせいで、前途を閉ざされて戦場に赴く若者ほど、可哀想な人間はいません。これまで学んできたことが全く反故にされて、自分が人殺しの道具にされてしまうのです。しかも戦争は、例外なく若者ではなく、大人によって始められるのです。こんな理不尽なことはありません。(上同、p221)

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