生きていることと生かされてあること。二つの感覚がいつも同居しているのが人生だ。一人では生きられない、人間は社会的動物だ、といったことばが、そこから出てくる。
外の世界にむかって、あるいは自分自身にむかって、積極的に力をおよぼそうとするとき、人は「生きていること」を実感する。反対に、外からの力が自分におよび、それが自分をゆたかにしてくれると納得できるとき、「生かされてある」と実感する。歳をとることは、「生きている」という実感が少しずつ「生かされてある」という実感にとってかわられることかもしれない。人といっしょに、物といっしょに生きていること。そのことが自然に受けいれられるようであれば、いい歳のとりかたをしているのだ。
外にむかって自分から出ていこうとするときは、どこにむかい、なにをめざし、だれとつきあうのか、大いに選択の余地がある。おいしい物を食べたいし、きれいな服を着たいし、立派な仕事をしたいし、心やさしい人と恋をしたい。そう思って動きまわり、うまく行ったり行かなかったりする。それが「生きる」ということだ。
「生かされてある」という思いは、自分が少し引っこんだ位置にあるとき、胸にきざしてくる。張りきる自分とは別に、その自分を冷静に見つめるもう一人の自分がいるようなときだ。冷静な自分には、張りきる自分がちょっと気恥ずかしい。(長谷川宏著「生かされてあること」『魂のみなもとへ 詩と哲学のデュオ』、谷川俊太郎・長谷川宏著、近代出版、2001年)
「行動の先に希望がある。行動を続けることで未来は切り開かれる」(サルトル) 「人間は進化する存在。今の自分を超えて、創造的であり続ける『超人』を目指せ!」(ニーチェ) こうして社会に発信するというささやかな行動を通じて、一歩でも二歩でも、未来を切り開いていける存在でありたいです。
2024年5月29日水曜日
生かされてある幸せ
生きるということについて、「生きている」ことと「生かされてある」あるいは「生かされている」ことの二面があることを初めて意識することができました。どちらかといえば、後者は意識することは少ないわけですが、意識し、生かされていることに感謝することげできれば、それだけで幸せに感じるものです。だからこそ、<歳をとることは、「生きている」という実感が少しずつ「生かされてある」という実感にとってかわられることかもしれない>(長谷川宏)ということなのでしょう。積極的に、活動的に生きていても、そうでなくても、幸福感が得られるということは素晴らしいことです。私にとって、新しい発見でした。
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