2024年5月15日水曜日

ヘーゲルの歴史観への興味

 朝日新聞コラム「(語る 人生の贈りもの)長谷川宏:11 ヘーゲル新訳、読書会に鍛えられて」(2024年5月14日)によると、「1992年、ヘーゲル『哲学史講義』の新訳を発表。平易で明晰(めいせき)な訳文は画期的と大きな反響を集め」、「98年、最も難解とされ、自身も最も思い入れが強かった『精神現象学』を新訳し、ドイツ政府のレッシング翻訳賞を受賞」したと言います。そんな彼による次のようなヘーゲル評を知って、長谷川宏新訳の『精神現象学』に興味を持ってしまいました。
 ヘーゲルは近代を、全体としては肯定的にとらえた人です。否定だけでは取りこぼしかねない現実の大きさ、不合理で非理性的なものも含め目をこらし見晴らす。そうやって歴史を発展過程として見ようとした。(上「コラム」)
 ヘーゲルが「近代を、全体としては肯定的にとらえた」というところに私の琴線が反応しました。一般に戦後を否定的に捉える傾向がありました。そこに私は不満があったのです。私は、戦後を「全体として肯定的にとらえること」が重要だと思ってきたからです。だからこそ、ヘーゲルの視点が心に響いてきたのかもしれません。
 長谷川宏さんの最近の本『日本精神史近代篇』(講談社、2013年)で、版画家香月泰男の言葉「人間が人間に命令服従を強請して、死に追いやることが許されるだろうか。民族のため、国家のため、朕のため、などと美名をでっち上げて・・・・」(p339)を紹介していました。作品《
》について語った言葉だそうです。
 このような芸術作品が発表し、天皇制を批判した文章を書けるのも、そうした画家の思想を紹介できるのも、戦後社会の肯定的な側面である、と改めて認識し直すことができました。

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