有名な言葉に「足るを知る」という老子の言葉があります。「足る」ことを知らずに「富を増やしたい」「名声が欲しい」といった欲の心に囚われることを戒めた言葉のようです。ネットでもいろいろな解説がありました。その中の一つを紹介します。
たとえば欲望が満たされない苦しみを、ショーペンハウアーは「富は海水のようなもので、飲めば飲むほど、のどがかわく。これは名声にもあてはまる」と言っています。
喉が渇いた時、海水を飲めばどうなるでしょうか。喉の乾きは癒やされることなく、喉の渇きはますます増していくのです。(「足るを知るの本当の意味や生き方とは?」より)
実は、「足るを知る」には、もっと深い意味があったのです。
セネカの言葉「手許に残っているものがどれほどわずかでも事足りている人を私は貧乏とは考えない」(『セネカ哲学全集 5』、セネカ著、岩波書店、2005年、p4)を知ったとき、「手許に残っているもの」が私に残された時間」に思えてしまいました。つまり、「足る」対象は「富」や「名声」だけではなく、「命の時間」も入っていたのです。だからこそ、古来より不老長寿の薬が探し求められたのです。
そうです。真に「足るを知る」ことができれば「手許に残されている時間がどれほどわずかでも事足りていれば、心やすらかに生きられる」のです。
0 件のコメント:
コメントを投稿