戦争を、それがもたらす不幸や悪から区別して考えることが可能になると、戦争と悪という、この二つのものの間に、また別の関係を考える可能性も出てくるわけである。つまり戦争の結果が、いつも必ず悪でなければならないかどうかということが、別に考えられ得るということである。そしてそこから逆に、戦争が直接的に悪であるかどうかということも疑問になり得るわけだ。つまり戦争にも他の面があるということである。具体的に言えば、勝利者にとっては、戦争は栄光であり、利得である面があるとも考えられるだろう。また部分的には、戦争は堂々たる行進や勇敢な行為、あるいは敵陣をおとしいれて、勝ちどきをあげるよろこびなどとともに、思い浮かべられることもあるだろう。戦争が損失と悲惨と苦痛のみであるというのは、正確な考えではないかもしれない。(『戦争と平和 田中美知太郎政治・哲学論集』、田中美知太郎著、中央公論新社、2024年、p11)
なんという考えだ、と思いました。「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」した日本国憲法の精神とは、だいぶかけ離れた考えだからです。
ところで、よく聞かれる戦争のスローガンは「自由や民主主義を守る」です。「この『自由』、『民主主義』が戦争と矛盾しないのは、・・・・アメリカの根幹たる政治的価値である自由や民主主義を守るために戦うことに意義を見出してきたから」(『グローバリゼーションと帝国』、紀平英作・和田光弘編著、ミネルヴァ書房、2006年、p170)です。現在における、こうした論拠が典型がウクライナ軍の戦争でしょう。いまだに正戦論は健在なのです。だからこそ、正戦論を認めない日本国憲法の精神の正当性について、しっかりと認識し広げていくことが大切ではないでしょうか。
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