しかしペッチェイの言葉には、もう一つの前提が欠けていました。それが、「へ―ゲルは、歴史を支配するのは理性であって、歴史は正義と善が実践される場であり、歴史の進歩とは人間の自由の発展にほかならないと考えた」(『ぼくたちのマルクス』、木原武一著、筑摩書房、1995年、p186)とあるように、「歴史を支配するのは理性であって、歴史は正義と善が実践される場であり、歴史の進歩とは人間の自由の発展にほかならない」というヘーゲルの考えも、未来について考える前提として、存在する必要があります。これらの三点を議論の前提とすることを共通認識して初めて、以降の議論は実りあるものとなります。逆に共通認識できなければ、以降の議論は不毛なものになってしまうでしょう。
それにしても、木原武一氏が要約してくれたヘーゲルの進歩観は分かりやすくて見事ででした。
すでに述べてあるように、核による大虐殺がないことが、未来について考える前提となることは、きわめて明白です。これは、この時代の移行期に橋をかけるための必要条件ではありますけれども、完全に充分な条件とはいえません。新しい時代を生きる、強力な力をもつ人類による長期にわたる発展を保証するには、その進化と文化のようそから、戦争と、それに伴う軍事的な暴力、さらには非軍事的暴力とを、ともに取り除く必要があります。(『「成長の限界」に学ぶ A・ペッチェイ:21世紀への行動指針』、A・ペッチェイ著、小学館、2000年、p109)
かつては生き残りと上昇のための手段だった暴力が、いまや私たちの滅亡の主たる要因とみなされていると、私は申し上げておきたい。
いかなるものであれ、暴力とそのイデオロギーは、実際のところ過去の名残りであり、奴隷制や人間のいけにえが今日の社会に受け入れられないのと同様に、新しい時代とは両立しえず、文化的混乱と社会病理をまねく以外のなにものでもありません。
平和であるということは、社会の発展、生活の質、自己実現を目標とするいかなる方程式においても、基本的な要因です。また、平和は、人間の社会のあらゆるレベルと、あらゆる分野だけではなく、人間の社会と自然の関係においてすらも、非暴力という普遍的な考え方の深まりと拡がりのうちに理解されなければなりません。(『「成長の限界」に学ぶ A・ペッチェイ:21世紀への行動指針』、A・ペッチェイ著、小学館、2000年、p110)
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