というものです。まさに大量の凶器が堂々と生産されているのです。一方でそうした凶器によって殺傷されて市民の悲劇が報道されることがあります。凶器によって殺傷されて市民の悲劇を報道するなら、殺傷兵器の存在が犯罪に近いことを報道すべきだと思います。殺傷兵器がなければ、殺傷兵器による市民の悲劇は起きないからです。
確かに、ロシアの暴挙には許し難きものがあります。しかし、だからといって、「自らの国と自由、民主主義」には、人の命をかけて守るに値するだけの価値があるわけではありません。命を失った家族にとっては、たとえ独立を失っても、命があったほうがいいと思うに違いありません。歴史には、そうした例がいくつかあります。江戸城の無血開城なども良い例です。「命あっての物種」なのです。

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