2024年5月20日月曜日

寛容の精神生みの親エラスムス

 イヤー驚きました。福音書に、恐ろしい一節があったのです。何と「私が来たのは地上に・・・平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ」(十の三四)というのです。しかも、宗教改革で有名なルターは、この一節を旗印にしていたのです。
 このようなルターに反旗を翻したのがエラスムスです。「『福音』を掲げた者同士が、斬り合って血を流すのが、はたして真の『福音』なのか」という」エラスムスの疑問はもっともな疑問です。そこでエラスムスは、「同胞が互いに迫害し、殺し合うことが『福音』であるはずがありません。真の『福音』に行き着くためには、お互いがそれぞれの立場を尊重する寛容の道を探るしかないのです。この寛容にこそ、理性の輝きがある」という考えに至ったようです。
 私は、『福音』を『平和』に置き換えれば、エラスムスの思想は現代社会にも立派に通用すると思いました。「同胞が互いに迫害し、殺し合うことで『平和』がやってくるはずがありません。真の『平和』に行き着くためには、お互いがそれぞれの立場を尊重する寛容の道を探るしかないのです」と。
 こうなると、現在流布している宗教改革に関する歴史に、このような真実が込められているのかが気になってしまいました。宗教改革に関する歴史にエラスムスが登場していないのではないか、エラスムスの思想は無視されているのではないか、という危惧です。どうなのでしょうか?
 確かにルターの宗教改革は原理主義でした。マタイによる福音書(十の三四)の一節、「私が来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ」を、旗印にしたからです。そしてさらに、自らを「神の兵士としてのキリスト教徒」と定義しました。
 エラスムスはこの態度を非難します。「ルターー派は福音を口にしながら、自分たちだけが唯一の注釈者だと言いふらす。福音を楯にして、争乱を起こし、善人を罵っている。そこには福音礼讃のひとかけらもない」。
 この非難が、ルター側からは反動ととられ罵倒されます。今や、エラスムスは、カトリック教会内の旧派からも反動分子だと忌み嫌われ、宗教改革派からも同様に反動分子だと攻撃されるようになったのです。
 このどっちつかずの状況の中で、エラスムスは生涯を終えます。このとき、エラスムスが説き続けたのが寛容の精神でした。
 エラスムスは、自分がルターの思想に共鳴して新教徒側に走ったときどうなるか、その結果が分かっていたのです。新教徒は勢いづき、カトリック教徒との争いはいよいよ激化していくでしょう。双方とも福音を標語に掲げながら、剣と剣を交じえ、血で血を洗う戦いに突入していくはずです。
 この両刃の剣を手にすることを拒んだエラスムスは、曖昧主義の卑怯者と嘲笑されます。どっちつかずの態度はまた、無力者とも評されます。
 同じように「福音」を掲げた者同士が、斬り合って血を流すのが、はたして真の「福音」なのか。エラスムスの態度は、その疑問に根ざしています。同胞が互いに迫害し、殺し合うことが「福音」であるはずがありません。真の「福音」に行き着くためには、お互いがそれぞれの立場を尊重する寛容の道を探るしかないのです。この寛容にこそ、理性の輝きがあると、エラスムスは考えたのです。
 エラスムスの晩年、ついにエラスムスが恐れた事態が訪れます。宗教戦乱が欧州各地で燃え盛り、カトリック側もプロテスタント側もそれぞれが火刑台を設け、敵対する者をキリストの名において殺戮していきました。(『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』、帚木蓬生著、朝日新聞出版、2017年、p204〜205)

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