しかし、セネカによれば、年齢的には長生きでなくても、”人生を生き尽くすこと”ができれば、感覚的に”「長生きをした」と思えるようになるというのです。つまり、”人生を生き尽くすこと”ができれば、たとえ思ったほど長生きでなかったとしても、それまでの人生を後悔することはないし、”十分生きた”と満ち足りて死ぬこともできるというのです。
では、どのような生き方が、”人生を生き尽くすこと”なのでしょうか。そこが問題です。明確な答えは分かりませんが、ヒントになる言葉は見つけることができました。「髪が白いとか皺が寄っているといっても、その人が長く生きたと考える理由にはならない長く生きたのではなく、長く有った(原文は傍点)にすぎない」(『人生の短さについて』、セネカ著、岩波文庫、p25)です。ここまで書いてきて少しわかってきたのは、自分の意志がどれだけ反映しているか、つまり、十分に反映していれば、十分に人生を生き尽くすことができたと言えるのではないでしょうか。これから検証する必要もありそうです。
人の世で起こる出来事は、どれもはかなく、瞬く間に過ぎてゆく。とめどない時間の流れのなかでは、すべてが無に等しい。
いくつもの都市や民族や河があり、広い海に囲まれているこの地球でさえも、時のおよぶ範囲に思いを馳せてみれば、ほんの小さな点にすぎないことがわかる。
万物は、人知を超えた無限の時の広がりのなかで、循環しながら、月日を重ねているにすぎないのである。すべてを足し合わせても取るに足らない年月を、わずかに引き延ばしたところで、どんな違いがあるというのか。
「長生きをした」と思えるような生き方は、ただ1つ。人生を生き尽くすことである。人に語り継がれるほどの長寿に恵まれた、丈夫な者たちの名前を挙げてごらんなさい。その寿命を数え上げれば、110年もの年月になるかもしれない。
しかし、はるか遠くまで広がる時の流れを思い浮かべ、人がどれほどの時間を生きて、どれほどの時間を生きていなかったのかを考えてみれば、早逝にも長寿にも、違いはないことに気づかれるだろう。[「マルキアへ宛てた慰め」21.1ー3](『死ぬときに後悔しない方法 2000年前からローマの哲人は知っていた』セネカ著、文響社、2020年、p64)
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