2023年6月13日火曜日

自然・自己一元の生

 美術館に展示されていた、明治時代の雑誌『アララギ』復刻版で、斎藤茂吉の「短歌に於ける『写生』の説」を読んできた。そして、「虚叙(抽象的)は理性に訴えること多く、実叙(具象的)は、ほとんど全く感情に訴えるもの」(5号、p15)と「辛苦に満ちた人生に清らかで喜びにあふれた自然という存在を一体化させるのが人間の理想と考え、実相に観入して自然・自己一元の生を写す、これが短歌なり」(9号、p12)をメモしてきた。
 人間の認識過程における抽象化(具象化)概念について、「理性に訴える(感情に訴える)」と捉える見方は、とても新鮮だった。抽象化の深度というのがあるとすれば、深度が深くなるほど、つまり、抽象化されるほど、理解が難しい理由が、これで分かった。逆に、徐々に抽象化を進めていけば、理解が進むということもわかってきた。
 また、「自然・自己一元の生を写す、これが短歌」であるという説は、俳句にも言えることであろう。「青蛙負けるな一茶ここにあり」という俳句も、そこに自然と自己が”一元化”されている。「自然・自己一元の生」とは、よく言ったものである。
 後で分かったことだが、斎藤茂吉の「短歌に於ける『写生』の説」は、斎藤茂吉全集14巻で読めるし、彼の随筆も、全集で読めるようだ。一度ゆっくり読んでみたい。

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