2023年5月1日月曜日

「戦争の放棄」は最高理性の誓い

 言葉の一つひとつが、グサリと心に響いてくる。言葉に、住井すゑさんの魂がのり移っているかのような力を持っている。
「敗戦、無条件降伏という苦い気つけグスリで、やっと人間にめざめ、以後は理性ある生きものとして行動しようと、民主憲法を受け入れた」のであり、
「憲法第二章『戦争の放棄』は、人間の人間に対する最高理性の誓いであり、それは究極的に“国防"を否定するもの」である。
「“国防"とは、外敵の侵略に対して国家を防衛すること――と辞書にある。人間不信もいい加減にしてくれ、と言いたくなる。こんな人間不信の語が堂々と生きている限り、この世に平和はな」い
 国防の思想が人間不信に貫かれているとすれば、その対極にあるのが日本国憲法ということになるであろう。前文に「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とあるように、「人間の信頼」というものを基礎に日本国憲法というものがある。人間の、人間に対する暴力を否定し、その対極にある理性と人間の尊厳に基礎付けられて人間の信頼関係によって成立する社会を建設して行こう、というのが日本国憲法なのである。
 食にせよ、性にせよ、動物的本能の充足が快いものなのは何人も否定しまい。だが、問題は、人間が動物的本能――衝動でことに処していいのか?という点だ。それも人類の興亡にかかわる国防という大問題において。
 かつて日本は愛国心という名で本能を刺戟し、幾多の人間を戦場にかり立てた。かり立てる側も、かり立てられる側も、理性を欠いた本能人間――動物だった。それが敗戦、無条件降伏という苦い気つけグスリで、やっと人間にめざめ、以後は理性ある生きものとして行動しようと、民主憲法を受け入れた。誰もが思う通り、言う通り、憲法第二章「戦争の放棄」は、人間の人間に対する最高理性の誓いであり、それは究極的に“国防"を否定するものである。
 “国防"とは、外敵の侵略に対して国家を防衛すること――と辞書にある。人間不信もいい加減にしてくれ、と言いたくなる。こんな人間不信の語が堂々と生きている限り、この世に平和はなく、せっかくの憲第二章も宙に浮く。(「国防か、地球防衛か」『住井すゑ作品集第7巻』、新潮社、1999年、p276)

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