最近、『世界』など、戦後の雑誌を読むのを楽しみにしている。『日本の歴史 31・戦後変革』によれば、戦後さまざまな雑誌が復刊・創刊されたこともわかり、どんな論文があるか、楽しみである。何が楽しいか、それは、戦後の息吹が感じられるからである。
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(『日本の歴史 31・戦後変革』、大江志乃夫著、小学館、1976年、p195) |
古い美術雑誌の『美術手帖』も、県立図書館で蔵書していたので借りてみた。戦後のヨーロッパから日本を見た視点や、「みじめな敗戦によっても、少しも価値を失わなかったものに日本の美術」などがわかり、読み応えがあった。改めて、江戸文化を見直し、そうした江戸文化をもたらし江戸の平和というものを見直すことができた次第である。
フランスの美術家が、長い戦争中も決して他からの統制等に一かつされずに、変りない各の仕事をつゞけて居た事を、私は今あらゆる戦争中の美術関係のドキュマンをしらべて愉快に感じて居るところである。
さて、敗戦々々と、みじめさをむしろこちょう(原文は傍点)して考えて居る日本からヨーロッパに來て意外に思った事は、日本の敗戦を誰もが大して問題にして居ない事で、まして敗戦をけいべづしてる様な声や態度は、感じさせられた事がない。之は私の会う範囲の人々のデリケートさであるばかりでなく、勝敗の歴史は何百回もくりかえされて居る此処では、一向に珍しいことでもないからだ。問題にされた事といえば、如何にたたかったか(原文は傍点)という事で、人間味のかけた野蛮や、残忍行為が、大いに批審されたのである。
ここで日本がみじめな敗戦によっても、少しも価値を失わなかったものに日本の美術がある。日本が現在の世界の動きについて敏感であり、おくれて居ないという以外に現代美術については未だ殆ど知られて居ない。ここでよく知られて居る日本美術といえば、ゴンクールの紹介した浮世絵以前の事が主で、北斎の百年祭が昨年巴里で催された事はすでに伝えたし、オランダのアムステルダムで北斎等の日本浮世絵大展覧会が開催された評判も恐らく日本では人は知るまいと思う。
そうした日本美術に対する尊敬については、戦前以上耳にするし、フランスの美術家が日本の昔のものに目を向け、関心を寄せて居る事は想像以上に大きいといえる。之は祖先の遺業によって日本人が世界に信用を保って居る一つのよろこびであるにちがいない。世界に向って広く窓を開ける事は勿論大切であるが、日本人が日本を知る事は又最も必要なことではないかと思う。(萩須高徳著「フランス通信・希望を求めて」『美術手帖』、1950年、7月号)

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