花森安治さんが、「武器をすてよう」と「十回でも百回でも千回でも、世界中がその気になるまで、くり返し、くり返し、呼びかけ、説き訴えなさい」と書いていることを「武器(殺人凶器)を捨てよう」に書いた。このような思想の大元とも言える考え方を知った。
花森精神の中心となる考え方の一つに、いわれなき権威のぶちこわしということがある。日本人は今まで、なにかの権威のようなものに盲従したり、畏怖の念を持ってきた。その号令によって動かされてきたのである。ここで述べられている「花森精神の中心となる考え方」は、日本国憲法における国民主権そのもので、これを優しく言い換えたものである。国会議員を「先生」と呼び、権威を感じているようでは、主権者とは言えないことを、教わった気がする。
それらの権威から解放されて、自由に自分の眼で判断すること、それこそ真の合理的精神である、と花森氏は説いている。三枝佐枝子著「花森安治——暮し」民主主義の守本尊」『中央公論』、1973年5月号
朝日新聞コラム「天声人語」(2023年5月10日)によれば、「ナチスに傾倒する愛国少年だったアルフレートさんは後に、自分が幼い頃にポーランドから連れてこられたと知って驚愕(きょうがく)する。本当の名はアロイズィ・トヴァルデツキ。二つの国に心と家族を引き裂かれた半生は、著書『ぼくはナチにさらわれた』に詳しい」。アロイズィさんが、その本に「人間性は何よりも他人を、他の状態を、他の意見を、他の民族をどう扱うかに現われる」と書いているという。このような人間性も、権威に盲従している限り、開花するようなことはない。人間の尊厳というものを理解できないからだ。逆に見れば、権威から解放され、自らの尊厳を知るようになって初めて、他の尊厳というものも理解できるようになるのではないだろうか。
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