日本国憲法第九条に対する、これほど分かりやすい説明(解説)があるだろうか、と思えた説明にであった。「日本が文化国家と言われるのは、憲法九条で、戦争の放棄を明記しているから」だ、と言って、憲法九条で「人殺しの戦争は絶対に起さない。人間を大切にする。生命をまもる。そう誓ったから」(『住井すゑ作品集 第8巻』、住井すゑ著、新潮社、1999年、P406)だという。つまり、憲法九条で誓っているのは「人殺しの戦争は絶対に起さない。人間を大切にする。生命をまもる」ことで、国を守るとは一言も言っていない。ここに国防という概念はない。
もう一つ大切なことに気づいた。「生命」をまもることであって、国民でもないし、人間だけでもない。動物も、植物もまもる。そこに普遍的な平等思想が貫かれているのだ。それに対し、ウクライナの現状を考えてみると、そこにあるのは「国を守る戦い」であって、多くの人間だけでなく、動植物も被害にあっている。はっきり言って、人間を盾にして国を守ろうとしている。人間も被害にあって当然だし、「やむを得ない犠牲」だというであろう。本当だろうか。
犠牲にあった人たちのことを考えてみよう。と、ここで小田実の『「難死」の思想』を思い出した。そこに「ただもう死にたくない死にたくないと逃げまわっているうちに黒焦げになってしまった、いわば、虫ケラどもの死であった」(「現代日本文学体系・84』、筑摩書房、p328)とあるが、このような「難死」がウクライナでも繰り返されている。こんなことが許されていいいのか。確かに、ロシアは悪い。だからと言って、防戦を繰り返していいのだろうか。負けてもいい、領土を一部取られても、命には代えられないのではないだろうか。「領土よりも、市民の命を!」である。
「行動の先に希望がある。行動を続けることで未来は切り開かれる」(サルトル) 「人間は進化する存在。今の自分を超えて、創造的であり続ける『超人』を目指せ!」(ニーチェ) こうして社会に発信するというささやかな行動を通じて、一歩でも二歩でも、未来を切り開いていける存在でありたいです。
2023年5月19日金曜日
領土よりも、市民の命を!
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