表現をするということは……「社会を変える方法」を手にするということです。(山田創平)これを読んで、初めはなるほど、と思った。しかし、「表現とは、個人の内に秘された何かを書いたり描いたりすること」もあるし、そうした目的で表現することも多い。だから、「表現とは、個人の内に秘された何かを書いたり描いたりすること<だけ>でない」というべきだと思う。
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「表現」を英語でエクスプレッションという。エクス(外へ)とプレス(押す)を合成して、内なるものを表出することを意味する。だが、表現とは、個人の内に秘された何かを書いたり描いたりすることでないと、都市社会学者は言う。表現とは社会への違和を形にすること。社会は変わりうると信じて動きだすこと。みずみずしい定義だ。京都精華大学のホームページから。(朝日新聞、2016年3月14日、折々のことば:339、鷲田清一)
それにしても、「表現とは社会への違和を形にすること。社会は変わりうると信じて動きだすこと」というみずみずしい定義は、時代にマッチした定義である。「社会への違和」ということで真っ先に浮かぶことは、国会議員自らが法を守らぬ現実への違和感に鈍感になってしまっていることだ。
だから、「小心で法に逆らうこと出来ず(千葉県 安延春彦)」(朝日新聞、2022年11月4日)という朝日川柳と、「法犯す者多き世に我は」という選者西木空人の言葉は嬉しかった。法を守らぬ現実に違和感を抱いているのは私だけではなかった、と思えたからだ。
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