2022年11月14日月曜日

「一汁一菜」の思想

「一汁一菜」について、気になりながら、ためらって実践に踏み込めないできた。栄養は足りるのか、というのが一番気になっていたからだ。何せ、肉などのタンパク質の重要性が叫ばれている。
 栄養的に何の問題がないとあるが、多分、「一汁一菜」だけでないこと、気持ちや時間、お金にも余裕があるときはときはお菜があってもいいというのだから、栄養的に何の問題がないのである。何よりも、橋本麻里さんの解説にあった「時間的・金銭的・心理的コストをかけすぎて、自分自身を大事にできなくなったら本末転倒だ」という指摘を知って、「命を、自分自身を大切にする」という「一汁一菜」の思想の根源を理解することができた。
「一汁一菜」の思想
 土井は、料理が大事ではない、とは言わない。何よりまず、人間とその命を大事にすることが、優先されなければならない。命を大事にするのに、一番適しているのは料理。そこまではいい。ただし料理することに時間的・金銭的・心理的コストをかけすぎて、自分自身を大事にできなくなったら本末転倒だし、そこまでコストをかけなくても、命を大事にする料理はできる。なんと、できてしまう。その技術論が、「一汁一菜」なのだ。
(中略)
 そうそう、書名に必要なメッセージのほぼすべてが尽くされていた、という話が終わっていなかった。「でよい」の後を締め括る「提案」、これがまたよかった。わかりやすさや説得力を求める自己啓発書にありがちな、「〇〇したければ、〇〇しなさい(命令)」でも、「〇〇しなければ、〇〇になる(脅迫)」でもない。共感や納得を強制しない、柔らかな問いかけであり、誘いとしての「提案」。そこまで配慮の行き届いたメッセージだったからこそ、料理のプレッシャーに押し潰されそうな人たちの琴線に触れる、どころか、その柔らかい部分をかき鳴らしたのだ。(橋本麻里著、『別冊太陽:土井善晴』、平凡社、2022年、p11)
「一汁一菜」の技術
 料理することです。一人暮らしであっても、自分で料理すれば、生き生きと生きていけます。きれいに整えればいいですね。
「一汁一菜」というのは、「料理して食べる」を実現する方法です。誰にでもできるし、誰かに相談しなくても、いいと思えば、一人ですぐにだって始められる。
 味噌汁を具だくさんにすれば、おかずの一品を兼ねるんですね。ごはんを炊いて、具だくさんの味噌汁を作ればそれでいいわけです。栄養的に何の問題もありません。和食には、メインディッシュなんてありませんが、西洋や栄養学の影響を受けて、メインディッシュから献立を考えるようになったのです。それは西洋で生まれた栄養学を、戦後日本人の栄養改善に取り入れたことにもよります。季節を取り入れた日本型の栄養学が必要です。
 日常は一汁一菜で何も考えないでいいわけです。そうすれば、私たちの忙しさに追われた暮らしでも自分の時間を持てるでしょう。気持ちに、時間に、お金にも余裕があるときに、おかずを作ればいいのです。
 肉を食べたい⋯⋯おいしいものを食べたいというのが現代人の欲求ですが、それを楽しみにすればいいですね。
 AIと共存するデジタル社会、若い人が担う「未来」にも、「一汁一菜」のスタイルを、暮らしをつくる秩序の要にしてください。(『別冊太陽:土井善晴』、平凡社、2022年、p68)

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