早速手元にあった『哲学する心』をパラパラと読み、今こそ彼の思想を学ぶべき時である、と確信した。そう思わせた文章がヴェトナム戦争に思いを馳せながら綴った次の一文である。ヴェトナム をウクライナに置き換えれば、立派に今に通用する内容で驚いたくらいである。
ヴェトナムにおける人間相互の殺し合いを、私は見るにしのびない。あれが、世界の本質で、やがて世界全体があのようになるのだと思いたくはない。あれはまちがった世界で、ほんとうの世界は、別なのだと私はみたい。そのために、いったい人類はどうしたらいいのであろう。
アラブにおいて起こったことが、私を憂えさせる。イスラエルの片目の国防相は、私には、旧約聖書に出てくる奇怪な英雄を思い起こさせる。民族と民族との間にある憎悪を静めるべき役割をもつ大国どもは、かえってその憎悪に火をつけようとする。暴力がここでも、平和への熱望より、はるかに確定的な役割を果たしたかにみえる。
世界は、さまざまな種類のわからずやどもにより一触即発の危機にのぞんでいるかにみえる。闘争より平和が、人類ばかりか生物のほんとうのあり方であることを人類全体に説得する哲学が必要なのである。(『哲学する心』、梅原猛著、講談社、1968年、p47)
もし今、「ウクライナの世界はまちがった世界だ」などと言ったら、馬鹿にされるだけかもしれない。しかし、世界から戦争は無くならない、などという考えは、確実に間違っているのは明らかだ。。無くす方向にもっていかなければ、「一触即発の危機」の確率が確実に増してくるからだ。そのことを分かっていながら、その危機を避けようとしないということは、未来社会の人々に対する裏切りに他ならない。
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