2022年11月30日水曜日

「構造的差別」という矮小化

 雑誌『世界』(12月号)を読んでいたら、辺野古の新米軍基地問題を「構造的差別」 の問題として取り上げていた。なぜか違和感を感じた。新米軍基地問題の本質が覆い被されてしまうような気がしたからだ。
 確かに、「構造的差別」が新米軍基地問題を長引かせているという側面もあるにはある。しかし、「構造的差別」があるのは沖縄だけではない。原子力発電所のある地域にも、「構造的差別」があると言われている。だから、新米軍基地問題を「構造的差別」 の問題に矮小化してはならないのだ。
「頭ごなしの閣議決定で基地建設が強行されている。構造的差別を行う側の当事者であるヤマトの人々の態度が問われている」(親川志奈子著「28・6万の『いいね』——ひろゆき氏ツイート現象が炙り出したもの」『世界』、22年12月号」と書いているが、これでは、「基地建設が強行」よりも、「ヤマトの人々の態度」の方が問題がある。あるいは、「ヤマトの人々の態度」に問題があるから「基地建設が強行されている」と読み取られても仕方がない。
 では、1番の問題は何か、ということになる。辺野古の新米軍基地問題は、原発再稼働問題の閣議決定、防衛予算倍増の閣議決定などの問題と本質的には同じであることである。つまり、万国の労働者ではないけれど、問題を抱えて苦しんでいる人たちが手を繋いでいけるようにすることではないだろうか。根っこは同じであることに気づき、手を繋いで声を上げていくことが大切、ということである。

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