そんなことができるのか、と思われるかもしれない。だが、可能だと思っている。その前提は、 無限なる時間と空間を認識し、実感できるようになることである。人間は考える葦であるといったパスカルが、思惟というものは、宇宙よりも大きいというような言葉を残している。正確な言葉は忘れてしまったが、スケールの大きさに感動したことを思い出すことができる。同じように感じた九鬼周造の言葉に出会った。
無限な時間は青い色の波、波、波、波、波、波の重畳また重畳にほかならぬ。無限な空間は青い色の山、山、山、山、山、山の重畳また重畳であろう。新しい年の波がまたしても一つ。波の数は無限だ。いつどの波間に溺れても大差はない。場所も無限だ。骨を埋むべき青山は至るところにあろう。魂よ、何故に土くれの黒きにみずからを縛るか。魂よ殻を破れ。殻を破れ。千鳥となって魂よ竜宮の青貝を海原の遠きに求めよ。私の新春の所感は青山の琵琶を把って自他の魂に呼びかける青海波の舞曲である。(「青海波」『九鬼周造随筆集』、菅野昭正編、岩波書店 、1991年、p68)
ここに示されている「無限なる時間と空間」は、読書を通じて、学習を通じて身につけることができる。それ以外の方法はない。物理学や宇宙論といった学問の醍醐味は、時間感覚の拡大ではないか、と勝手に思っている。思うようになったといったほうがいい。私の仮説でしかない、とも言える。この仮説を検証するためにも、じっくりと放送大学で学び続けていきたいところである。
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