辞書によれば、成熟とは人の心や身体などが十分に成長することである。それで良いと思ってきた。しかし、身体の成長のことは別として、成熟としての心の成長については分からなくなってしまった。青春像の象徴としての「龍馬にしがみつくのは成熟拒否の表れ」(2010年10月05日、朝日新聞)という精神科医で評論家でもある野田正彰さんの記事を読んだからである。
アメリカの詩人サムエルの有名な「青春」という詩がある。「人は年を重ねるだけでは老いはしない。ただ、理想を失うことによって老いるのである」というような内容で、松下幸之助などの実業家に親しまれている詩でもある。今までは、この詩は素晴らしいものとして疑わず、一時期は松下幸之助の真似をして額にして飾ったこともある。このことが「成熟拒否の表れ」というのだから人事ではない。
どうしてだろう、と寝転がって考えていたら、「青春」というような詩に憧れるのは、過去の栄光、あるいは、過去の栄華を引きずっている証拠ではないか、ということに気づいた。そして、成熟した心の成長とは、年相応の素晴らしさを発見できることではないか、と自分なりの答えを見つけることができた。そこで思い出した次のような詩がある。
春よし
夏よし
秋もよし
冬もまたよし
正確な詩は忘れてしまったが、「心の成長過程も、よく描かれている詩である」と再認識できた。(2010年 10月 5日記)
「行動の先に希望がある。行動を続けることで未来は切り開かれる」(サルトル) 「人間は進化する存在。今の自分を超えて、創造的であり続ける『超人』を目指せ!」(ニーチェ) こうして社会に発信するというささやかな行動を通じて、一歩でも二歩でも、未来を切り開いていける存在でありたいです。
2022年8月24日水曜日
春よし夏よし秋もよし・・・
一時期、短文を書き続けていた。その時書いた「成熟とは何か」は、今読んでも、なるほどと思わせる内容だったので、少しだけ手を加えてアップすることにした。「老年期もまたよし」である。
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