2022年8月12日金曜日

「敗北」を認める能力

 ロシアによるウクライナの侵略戦争が終わらない。ウクライナが徹底抗戦の構えを崩さない中、それは当然のことなのかもしれない。ロシアの行動が許されないことは当然のこととしながらも、そうした徹底抗戦を貫いているウクライナの対応も、腑に落ちないものを感じてきた。しかし、なぜなのかは分からなかった。
 政治学者・豊永郁子さんによる朝日新聞(2022年8月12日)の論文「(寄稿)ウクライナ、戦争と人権」を読んで腑に落ちなかった正体がわかった。「政府と軍が無益な犠牲を国民に強い、一億玉砕さえ説いた第2次世界大戦の体験」と、「徹底抗戦を貫いて国民に無益な犠牲を強いているウクライナの対応」がダブって見えたからだったのだ。
 豊永郁子さんは、「政府と軍の『敗北』を認める能力」ということも言っているが、こうした能力についての言及は初めてだ。しかも、そうした能力を発揮して無益な犠牲が免れた例まで紹介されていた。少し長いが引用しておく。これらの例は、9条の精神の先取りでもあるのではないだろうか。
 最近よく考えるのは、プラハとパリの運命だ。中世以来つづく2都市は科学、芸術、学問に秀でた美しい都であり、誰もが恋に落ちる。ともに第2次世界大戦の際、ナチスドイツの支配を受けた。プラハはプラハ空爆の脅しにより、大統領がドイツへの併合に合意することによって。パリは間近に迫るドイツ軍を前に無防備都市宣言を行い、無血開城することによって(大戦末期にドイツの司令官がヒトラーのパリ破壊命令に従わなかったエピソードも有名だ)。
 両都市は屈辱とひきかえに大規模な破壊を免れた。プラハはその後、ソ連の支配にも耐え抜くこととなる。これらの都市に滞在すると、過去の様々な時代の息づかいを感じ、破壊を免れた意義を実感する。同時に大勢の命と暮らしが守られた事実にも思いが至る。
 2都市に訪れた暗い時代にもやがて終わりは来た。だがその終わりもそれぞれの国が自力でもたらし得たものではない。とりわけチェコのような小国は大国に翻弄(ほんろう)され続け、冷戦の終結によりようやく自由を得る。プラハで滞在した下宿の女主人は、お茶の時間に、共産主義時代、このテーブルで友達とタイプライターを打って地下出版をしていたのよ、といたずらっぽく語った。モスクワ批判と教会史の本だったそうだ。私は彼女がいつ果てるともわからない夜に小さな希望の明かりを灯(とも)し続けていたことに深い感動を覚えた。(豊永郁子著、朝日新聞「(寄稿)ウクライナ、戦争と人権」より)

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