2022年8月16日火曜日

未来によって今という瞬間を生きる

 日本には、こんな思想家、哲学者がいたのか、という発見があった。九鬼周造である。中島岳志著『思いがけず利他』で引用されていた文章を読んで直感した。九鬼のいう「未来」を、日本国憲法が指し示してくれている未来と考えることによって、九鬼の言葉が、いっそう生き生きと迫ってくるものがある。
 私には、日本国憲法という未来がある。だからこそ、偶然性によって九鬼周造の思想を発見することができた。問題は、新しい可能性を必然性へ発展させられるかであろう。どちらにしても、『九鬼周造著作集』もあるようだし、九鬼周造の思想をもっと覗いてみたい。
 私は「今」の意味を、未来から贈与されるのです。そのためには、「今」を精一杯、生きなければなりません。偶然の邂逅に驚き、その偶然を受け止め、未来に投企していく。その無限の連続性が、私たちが生きていることそのものであり、世界の有機的な連環を生み出す起点なのです。
 九鬼は言います。

 無をうちに蔵して滅亡の運命を有する偶然性に永遠の運命の意味を付与するには、未来によって瞬間を生かしむるよりほかはない。未来的なる可能性によって現在的なる偶然性の意味を奔騰(ほんとう)させるよりほかはない。(『偶然性の問題』、九鬼周造著、岩波書店、2012年、P282)
  私たちは、未来によって今という瞬間を生きています。「未来的なる可能性」が、今起きている偶然の意味を「奔騰させます。この構造を認識し、自己を偶然に開いていくこと こそ、利他の円環を生み出していく動力となるのです。
 最後に九鬼は、『無量寿経』の注釈書である『浄士論』の一説を引いたうえで、次のように言います。

 不可能に近い極微の可能性が偶然性において現実となり、偶然性として堅く掴まれることによって新しい可能性を生み、さらに可能性が必然性へ発展するところに運命としての仏の本願もあれば人間の救いもある。(上同)

 偶然性が可能性を生み、それが必然性へ発展することで「運命」が生まれる。これが「仏の本願」であり、「人間の救い」である。そう九鬼は力を込めて言っています。(『思いがけず利他』、中島岳志著 、ミシマ社、2021年、p268〜270)

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