ちょうど朝日新聞コラム(2022年8月19日)「折々のことば:2472 鷲田清一」に、同じような言葉が紹介されていた。「無心で手を使うこと、何らかの方法で心を吐き出すこと、自分の悲しみを誰かと共有すること」(夏井いつきの元同僚)、と。そしてその解説で、俳句も「心を吐き出す」一つの方法であることを教えてくれている。それにしても、俳句は「負の感情を小さく千切っては一句一句に変換していく」とはよく言ったものである。
ここで「昇華」という言葉を思い出した。辞書には、「情念などがより純粋な,より高度な状態に高められること、とあり、「人間の苦悩が硬質な詩的文体に昇華された」という例文があった。「負の感情を小さく千切っては一句一句に変換していく」ことで、「人間の苦悩が硬質な詩的文体に昇華される」ということであろう。
中学の国語教師をしている頃、父を亡くし悲嘆に溺れそうになっている自分を見た年長の同僚が、親しい人の死を受け容(い)れてゆく方法を教えてくれたと、俳人は言う。増殖する「負の感情を小さく千切っては一句一句に変換していく」俳句も、「複雑骨折」した心を右から左から支えるネジのようなものなのか。(『瓢箪から人生』から)
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