「『資本論』再読への刺激」を書いたばかりだが、もう一つの「『資本論』再読への刺激」があった。「100分de名著 マルクス“資本論”」で書いたことだが、<「商品の”物象化”」こそが、資本論の核心部分であり、資本主義社会の、そして現代社会の問題の核心>という仮説を検証してみたい、マルクスは「商品の”物象化”」について、どのように書いてあるのか知りたい、ということだ。
今まさに戦闘が行われ、武器によって人命が奪われている。プーチンも、ゼレンスキーも、「結局、武器という商品に制御されているに過ぎない」(「100分de名著 マルクス“資本論”」より)ならば、なんという悲しいことであろうか。そして、そこから、武器を持つことの、常備軍の怖さを導き出すことができるに違いない。
国防とかなんとか言っても、武器という商品の使用価値は、人命を断つことであり、文明・文化の破壊である。このような使用価値の存在を認めて良いのであろうか。つまり、使用価値についての分析は、資本論で言及しているのだろうか、という疑問が生まれた。そして、新たな「『資本論』再読への刺激」が一つ加わった。
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