戦後に平和憲法を持つようになっても、絶えず、攻撃されながらも、解釈改憲で誤魔化してきた感がある。解釈改憲で押し切られてきたと言ったほうが良いのかもしれない。いずれにせよ、憲法の精神、9条の精神を積極的に実現する方向で努力が足りなかったことは間違いない。だから、今回のような侵略行為を許してしまったのだ。なぜだろう。
立花隆さんによれば「世界の観照、世界の解釈がまず正しくなされないことには、世界の変革は不可能」だという。もし、世界の変革が不十分で、そのため戦争になってしまった、という解釈に立てば、世界の解釈、世界に対する認識が不十分だった、それゆえに、望む変革を成し遂げることができず、絶えず防戦であった。だから、戦争を許してしまった。世界に対する認識が正確でなかったから、戦争を許してしまったと考えることもできるのだ。このような反省もあっていいのではないだろうか。立花さんの文章を読んで考えたことである。
立花隆さんによれば「世界の観照、世界の解釈がまず正しくなされないことには、世界の変革は不可能」だという。もし、世界の変革が不十分で、そのため戦争になってしまった、という解釈に立てば、世界の解釈、世界に対する認識が不十分だった、それゆえに、望む変革を成し遂げることができず、絶えず防戦であった。だから、戦争を許してしまった。世界に対する認識が正確でなかったから、戦争を許してしまったと考えることもできるのだ。このような反省もあっていいのではないだろうか。立花さんの文章を読んで考えたことである。
哲学者は世界をただいろいろに解釈しただけだ。しかし、だいじなことは、それを変革することだ」というんです。これと似てるでしょう。ぼくらが大学に入ったころ、学生運動をやっている連中は、何かというとこのテーゼを引用して、学生をデモに引っぱり出そうとしたものです。ぼくにいわせると、世界を解釈することも世界を変革するのと同様に大切です。世界の観照、世界の解釈がまず正しくなされないことには、世界の変革は不可能です。それなしの変革は、盲目的になり、エントロピー増大の方向に向かうだけです。それは進化ではなく、退化です。(『サピエンスの未来 伝説の東大講義』、立花隆著、講談社現代新書、講談社、p396)
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