何時ごろからか、新聞の連載小説が「新聞を読む楽しみ」の一つになっている。今朝日新聞で連載されているのは、多和田葉子さんによる「白鶴亮翅(はっかくしょうし)」である。「白鶴亮翅」というのは、太極拳の動作の一つのようだが、どうしてそうした小説の題名なのかは、今の所謎である。この小説で、続けて私の心のアンテナにとらえれれた言葉がある。「脳味噌の中にもドイツと南米をつなぐ航路はまだ開拓されていなかった」と「わたしの心の扉が一つ開いた」だ。
ドイツ文学入門のゼミならばゲーテとかカフカとかを読みたいのに、このゼミで扱われる作家たちの名前には聞いたことがないものが多く、わたしの脳味噌(のうみそ)の中にもドイツと南米をつなぐ航路はまだ開拓されていなかった。2022年3月11日
このゼミに参加したことでわたしの心の扉が一つ開いた。教授の「大学というのは冒険するところです。目的地が存在するのかさえ不明のまま航海に出ることです」という言葉を耳にした時には、なるほどそれならドイツの船に乗り込んで、行くつもりもなかった南米に出かけるのも一種の幸福なのだと納得した。2022年3月12日
なぜ、これらの言葉が気になったのか、なんとなくはわかっても、ぼんやりとしてその対象の姿がはっきりしない。それで、こうして書いてみた。そして、次第にはっきりしてきたのが、サルバドール・ダリの作品に見られる「心の引き出し」への「航路の開拓」であり、心の扉ではなかったか、と思えてきた。そして、新しいことにチャレンジするたびに、新しい航路が開拓され、引き出しが造られていく、と。
最近は和辻哲郎さんの著書を読むようにしているが、カントの『実践理性批判』『道徳形而上学の基礎づけ』(和辻哲郎全集・9)を彼の視点で書いていることを知った。彼の倫理学に興味があるので、その前提として、これらを読んでみたいという気持ちが芽生えてきている。これこそ、わたしの「カントの世界への心の扉が一つ開いた」状態ではないだろうか。
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「引き出しのあるミロのヴィーナス」 |
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