2021年12月18日土曜日

人間的な、あまりに人間的な

 つい最近、ニーチェに『人間的なあまりに人間的な』という著書があるのを知った。そして、まずその書名に惹かれてしまった。そして、この本は、書名から分かるように「人間的な、あまりに人間的な」人間というものを追求した本であろう、と勝手に想像してしまった。それで、ぜひ読んでみたいと思い、手にとって、まず飛び込んできた言葉が「まずい著作者はなくてならぬ」であった。
 結局、ニーチェがここで言いたかったことは、当時の社会の圧倒的に大多数の者は「悪い趣味を持った未発育の知性」の持ち主ではないか、ということではないだろうか。そして痛感したのが、「今の社会も、当時とあまりあわらない」のではないか、ということである。なぜなら、あれだけの悲惨な戦争を経ながらも、いまだに軍事力に固執している原因が、「”未発育の知性”が圧倒的に優勢だから
ではないかと思えるからだ。

 まずい著作者はなくてならぬ。 —— いつにしてもまずい著作者はなくてならないだろう。なぜなら彼らはまだ発育していない未熟な年輩の者の趣味に合うからだ。 こういう連中も成熟した人たちと同様に彼等独特の欲求を持っている。もしも人間の生命がもっと長いものなら、成熟した個人の数が優勢になるか少なくとも未熟者の数と同じくらいになることだろう。 ただ事実は圧倒的に大多数の者が若すぎるうちに死ぬ、つまり悪い趣味を持った未発育の知性がいつもはるかに多数を占めているのだ。こういう人たちはその上若さに特別の一層激しい性急さで彼等の欲求の満足に渇望する、そして彼等はまずい著者たちを無理やりわがものにする(傍点部分を下線で示した)。(No.201)

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