例えば、五木寛之さんの言葉、「百歳人生の後半五十年において、七十代は、まさに『人生の黄金期』といえるのではないでしょうか。あるいは、再来の青春といっていいのかもしれません」(『百歳人生を生きるヒント』、日経プレミアシリーズ)を引用しながら、作家五木寛之さんの生き方を紹介していた。その中で、五木寛之さんが「百寺巡礼」の企画に挑戦し、お寺を巡るたびに、心身が充実して、気力体力が整ってきたという話が印象的だった。
自分のことになるが、子供たちが自立し、それぞれの生活を生きている。会えるのは限られ、ほとんどは自分の生活を生きなければならない。そのことは、考えようによっては、とても素敵な自由を手に入れているということでもある。そう考えると、「七十代は、まさに『人生の黄金期』」という言葉が実感として理解できる。
しかし、「七十代は、まさに『人生の黄金期』といえる」というのは、少し違うことに気がついた。正確には、「七十代は、まさに『人生の黄金期』に”できる”」であろう。丸山眞男の論文に、”「である」ことと「する」こと”というのがある。私の理解では、何ごとも「である」ことに安住して満足してはいけないのであって、日々「する」ことが大切だ、ということである。「自由”である”」ことに満足しているのではなく、「自由を満喫”する”」ことが大切なのだ。だから、七十代を『人生の黄金期』にする努力を通じて初めて、七十代は、まさに『人生の黄金期』と言えるようになる。
しかし、「七十代は、まさに『人生の黄金期』といえる」というのは、少し違うことに気がついた。正確には、「七十代は、まさに『人生の黄金期』に”できる”」であろう。丸山眞男の論文に、”「である」ことと「する」こと”というのがある。私の理解では、何ごとも「である」ことに安住して満足してはいけないのであって、日々「する」ことが大切だ、ということである。「自由”である”」ことに満足しているのではなく、「自由を満喫”する”」ことが大切なのだ。だから、七十代を『人生の黄金期』にする努力を通じて初めて、七十代は、まさに『人生の黄金期』と言えるようになる。
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