2021年12月21日火曜日

群のなかに埋没すること

 ノーベル文学賞記念講演ということで、『優しい語り手:ノーベル文学賞記念講演』(オルガ・トカルチュク著、小椋彩・久山宏一訳、岩波書店、2021年)を読んでみて、思わぬ収穫があった。友人と現代社会は全体主義そのものではないか、と話し合ったことがある。まさにそのことが、全体主義機構の解説と一緒に書かれていたのだ。
 例えば、全体主義について、全体という「群のなかに埋没することは、暴力、そして専制への屈従に合意すること」「それは人間の管理を引き受けるものであり、一方、人間のほうでも、自らそれによってすっかり自由を奪われてしまうにもかかわらず、何か自分自身の不可解な道行で、それを許容するだけでなく、受容をしてしまうような機構」(『優しい語り手』、p 69)とあり、エリアス・カネッティの『群衆と権力』 は、このような「全体主義理解の助けになりますが、これは、現代資本主義世界の記述としても、見事に通用します」(同、p 69~70)という。つまり、全体主義についての記述なのに、現代資本主義世界の記述としても見事に通用する、というのだ。
 全体主義とは、考えようによっては民主主義の対極に位置する概念である。したがって社会が民主主義から遠ざかるほど、全体主義に近づくことになる。強引な辺野古への米軍基地建設は、半民主主義の極みと言って良い。そこへ、民主主義的な手続きを経て選出されたにもかかわらず拒否された、日本学術会議の任命拒否問題である。こうした事例でも明らかなように、日本は、より強固な全体主義に向かって突き進んでいると言って良い。改憲の動きも、こうした全体の過程の一環として捉えるべきであろう。

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