2021年12月28日火曜日

戦争とは唾棄すべき野蛮

 ニーチェの著書『人間的なあまりに人間的な』を、一度「人間的な、あまりに人間的な」で取り上げた。そこで、社会には、「未発育の知性」の人間と、「成熟した個人」が存在していること。「未発育の知性がいつもはるかに多数を占めている」こと。歴史の進展に従って、成熟した個人の数が増えていくであろうこと、などを紹介した。
 今日読んだところには、「進み遅れた残酷な人間」(傍点部分を下線で示した)というのがあった。「 今日にあって残酷な人々は、残存している前代の文化の諸段階とみなされねばならぬ。人類の山脈は他では隠されている深い地層のありさまをここで一寸あらわに見せているのだ」(No.43)という。「進み遅れた残酷な人間」が「未発育の知性」の人間のことを指しいるかどうか、は知らない。しかし、似たようなものに違いない。
 このような人間の存在を認めると、現代社会において、「敵基地攻撃能力の保有を!」などと声高に叫んでいる人たち、核禁止条約の批准に背を向けている人たちが、みな「進み遅れた残酷な人間」に見えてきてしまう。 次のような言葉に真実味があるからだ。
武器は不自然・・・戦争は非人間的・・・戦争は到底支持できない・・・戦争はおぞましいケダモノ・・・戦争は愚行。(『三ギニー:戦争を阻止するために』、ヴァージニア・ウルフ著、片山亜紀訳、平凡社2017年、p 18)

戦争とは唾棄すべき野蛮です。(上同、p 23)

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