現世に何の歓びも見いだすことのできない民族が、生きることの「意味」のよりどころとすることができるのは、ひたすら「未来」における「救済」の約束、来るべき世に「天国」があるということ、現在われわれを迫害し、富み栄えているものには「地獄」が待っているということ。現世に不幸な者たちの未来には天国があるということ。そのような決定的な「審判」の日が必ずあるという約束だけだった」(『現代社会はどこに向かうか』、p 97)。マルクスの思想も、結局は共産主義社会という未来社会に向かっている。資本主義社会では、有限な地球に存在している社会で富み栄えていくには無理がある。破局が待っている、と決定的な「審判」の心配がなされている。私が昔抱いた疑問というのは、そうした思想に対し、未来ではなく、今、現生における歓びを約束する思想があってもいいのではないか、という疑問だった。
こうした問いは、そう簡単に解けるようなものではない。しかし、『現代社会はどこに向かうか』において、近代に至る「局面を現実において圧倒的に指導した」「ヨーロッパ世界の精神」(上同、p96)の問題を詳述した本として、「真木悠介『時間の比較社会学』現代岩波文庫、2003年、第三章」の紹介があった。よく調べてみたら、『人間解放の理論のために』(真木悠介著、筑摩書房、1981年))という本の存在もわかった。これらの中に「解」、あるいは「ヒント」があるんじゃないか、と、新たな「未読の楽しみ」ができた。
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