最近、民主主義について考えている。そして、日本学術会議会員任命拒否問題に関連して、民主主義の基本について、「《説明しないこと》こそが民主主義に反する権力の行使(国民に対する暴力)であり、主権者である国民に説明責任を果たすことが民主主義の基本」(令和2年10月17日 イタリア学会会長 藤谷道夫・慶應義塾大学教授)という言葉を、11月30日のブログに書いた。
また、森村氏は、民主主義は、言論や思想の自由を保証することを基本とする。つまり、「民主主義は自分の体内に敵を包含しなければならない宿命を抱えている」(森村誠一)と言っている。意に沿わぬ人を排除する、というのも、質問者に説明しない(ある意味で無視に値する)のも、「敵を包含しない」のだから、反民主的である。
と、ここまで書いてきて、《説明しないこと》が、いかに反民主的で、暴力的であるかについて気づいたことがある。総理には、自ら排除した人や質問者に説明する責任がある。にもかかわらず、《説明しない》のは、排除した人や質問者を無視していることになって、排除した人や質問者に対する完全な人権蹂躙になる、ということである。国会の場での人権蹂躙を許してはならない。
「行動の先に希望がある。行動を続けることで未来は切り開かれる」(サルトル) 「人間は進化する存在。今の自分を超えて、創造的であり続ける『超人』を目指せ!」(ニーチェ) こうして社会に発信するというささやかな行動を通じて、一歩でも二歩でも、未来を切り開いていける存在でありたいです。
2020年12月6日日曜日
国会で”人権蹂躙”が進行中
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿