2020年12月17日木曜日

米軍による強制的土地接収

 沖縄の米軍基地は、土地を強制的に接収してできたことで知られている。しかし、米軍による強制的な土地の接収は沖縄だけではなかった。横田基地の滑走路の拡張工事でも、強制的な土地の接収が行われていたのである。少し長いが引用して紹介する。強調は引用者による。
 だがしかし、辺野古の米軍基地建設も、沖縄や横田基地での強制的な土地の接収となんら変わるところがない。多くの県民が民意を示しても、民意を無視してきたからだ。我が身のことだったら、と想像してほしい。

 ひとくちに基地拡張といっても、たとえば富士山麓などと違って、これらは、滑走路の延長拡大である。立川といい、横田といい、現在でも、その滑走路は、向う端の人間が小びとほどにしか見えないほど長大だ。しかし、いままでのように、B-8の基地ならこれでいいが、新鋭の長距産ジェット爆撃機の基地として質的転換をした現在では、この程度の滑走路ではどうにもならぬというのだ。横田基地司令官スティーバーズ大佐の語るところによれば、「ジェット機はスピードが早いので、現在の滑走路では短かすぎて危険である。着陸の折は、パラシュートを尾部から出してスビードを減じているくらいだ。現代兵器の発展につれて、基地の拡張は必然的であって、最低二千フィートは延長したい」のだそうである。かくて滑走路の延長拡大が、防衛分担金をまけてくれた附帯条件として要求されているのである。だれも知らぬうちに、それが日本政府によって承諾決定され、住民にとっては寝耳に水の、土地測量が始められようとしているのだ
「まったく、なさけなくって、オレあ、もうなにも言う気になれないネ。なんしろ、このとおりだからネ。」麦を刈っていた農夫の顔は、土ぼこりで塗りこめられて、目ばかり光っている。指さして見せた足もとの麦は、ヒザほどもなく、これも土ぼこりにまみれている。麦の合間のサツマイモにしても、緑の色どころか、葉っぱの形さえさだかではない。なにもかも、見えるかぎりのものが土ぼこりで埋められているのだ
(中略)
 ときどきジェット機が、二機三機と帰ってくる。こいつが、麦刈りの農夫の頭をかすめるばかりに、ばかばかしいほど、けたたましい音響のかたまりをぶっつけて過ぎる。そのたびに、目前の貧弱な麦の穂が吹きとばされてゆく。
「話しもなにもなったものじゃない。」吐き出すように言う顔は、さっきからまったくの無表情だ。「その上、この土地まで取り上げようって、いうんだからね。」そう言って、まつげまでほこりだらけの顔に、思いがけぬ自嘲めいた笑いを浮べて見せた。基地拡張のたびに耕地を取られて、いまでは、ここに二反歩ほど残っているばかり。今度これを取られると、一握りの土もなくなってしまうとのことだ。そうなったらどうするつもりか、と聞くと、そんなことは考えていない、考えたところでどうにもならないと言う。(『臼井吉見評論集 戦後 第1巻』、筑摩書房、1965年、p132〜134)

 瑞穂町は、爆音に明け、爆音に暮れている。真夜なかでも、絶えるときはない。住民は神経がマヒしてしまっている。老人など、一晩中、おちおち眠れない者もある。朝鮮戦争のときは、ここから飛び立つ爆撃機が爆弾を振り落したこともあった。さっき麦を刈っていた近くに中学校があり、敷地の大半と校舎の一部が拡張予定区域に入っている。七年前、ここに校舎を建てたときは、まさかこれほど爆音に悩まされようとは思いもかけなかったという。次々に基地が延びてきて、ジェット機が来るようになってからは、まるで校舎を目がけて墜落するかのような、けたたましい爆音が、教師の説明であろうと、生徒の間であろうと、声という声を奪い去ってしまう。(上同、p134〜135)

 この町はこれまでに二百七十町歩の農地を失っているが、いままた、滑走路拡張のため七十町歩を奪われようというのだ。これの関係農民三百七人、その三分の一は、まったく耕地を失うことになる。現在でさえ、平均反別四反強にすぎず、酪農や日雇で補ってきたのに、ここでさらに七十町歩を取り上げられれば、平均二反歩しか残らない。そうなれば、酪農にしても、飼料を産する耕地がないのだから、続けようがない。この小さな町で一挙に三百人も土地を奪われては、日雇いの口などあるはずもない。補償金をもらっての転業といったところで、多くは年とっていて、今さら新しい商売ができようとは考えられない。それどころか、町の古くからの商人でさえ、このごろは日を追うて苦しくなってきている。耕地を取られ、滑走路が予定どおり八高線を乗り越えて延びてくるということになると、現在の町は両断され、通学や耕地への往復に、とんでもない遠まわりをしなければならなくなる。さらに、現在以上に爆音が激しくなることを考えると、恐れと不安は、はてしもない。政府や調達庁が、何を考え、何を言おうが、今度はだまされない。条件闘争などと思っていたら大まちがいだ。こうなっては、一坪の耕地もゆずれない。条件なしの絶対反対だ。—— これが瑞穂町民の一致の声である。−以上1955年7月記ー(上同、p135)

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