2020年12月28日月曜日

生きられる歓びだけで心が浮き浮き

 臼井吉見著『自分をつくる』(筑摩書房、1979年)を読んでいたら、「未来を思い、過去を振り返る」という項目があって、60年前の日露戦争に勝った頃を振り返って、その頃と比較して日本というものを書いていた。そこで初めて知ったことだが、日露戦争に勝った頃の人口が一番多かった都市は、新潟だったという。それから、60年後には、東京が世界一人口が多い都市になった。そのことから、60年間で「日本は、農業国から世界で指折りの工業国になったことを意味する」(p97)と書いている。そして、このように過去を振り返ってみると、「同じ日本でも、まるで違ってきたということがはっきりします。そして国民の多くの同意を得ずに、薮から棒に戦争を始めたり、何でも勝手なことをやって、そのために国民が犠牲になるというようなでまかせは絶対にできない仕組みになりました。これだけでも日本はずいぶん明るくなったわけです」(p99)と書いている。過去を振り返ることで、現状認識がだいぶ鮮明になることがよくわかった。そういう意味でも、次に紹介したような敗戦当時の心情というものを理解することが大切ではないか、と考えている。
 私が所属していた部隊が解散したのは八月二十五日だった。終戦を迎えて十日間を軍隊で過していたのだが、社会から隔絶している軍隊のことなので、流言飛語があれこれと飛び散った。米軍が仙台湾に上陸したからそれ以南の出身者は帰れないだろうとか、列車が全部停止しているので故郷まで歩いて帰らなければならないとか、口から口に伝わってみんなを心配させた。
 しかし私はそんな噂があっても、生きられる歓びだけで心が浮き浮きしていた。列車がなければ歩いて帰ればよいのだ。野草を喰い困ったら窃盗をしてやろう。米軍が駐屯していても、必ずそこを潜り抜けてやる。戦争中に、負ければ日本中の男が皆殺しに逢うのだと聞かされていたが、若しそれが本当だったら、独りで山岳地帯に潜伏してまでも生き抜いて見せる。なんにしてもこれからは、命令とか、制約とかを一つも受けずに、自分自身の判断で行動が出来るのだ。――ただ、こんな喜びの気持で一杯だった
 いざ帰途に就くと、噂とはまるで違って、列車の連絡が嘘のようにうまく行き、張合いがないほど簡単に父母のもとに帰った。たった七十日余りの別離だったのに、父母は私の元気な姿を見て感涙にむせんだが、特に、二百本の煙草が、煙草好きの父をして随喜の涙を流させたのが忘れられない。(藤田靖夫著「敗戦の日に」『現代教養全集・3』、臼井吉見編、筑摩書房、1958年、p399、強調は引用者による)

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