2020年12月14日月曜日

「である」ことと「する」こと

 図書館の新刊コーナーで見つけた『中古典のすすめ』(斎藤美奈子著、紀伊国屋書店、2020年9月)を手に取ってみたら、「憲法が破壊される時代への警告」というタイトルで丸山眞男『日本の思想』(岩波新書)が紹介されていた。『日本の思想』は持っているし読んだこともあるので、どのように紹介されているかを知りたくて借りてきた。目から鱗だった。次のところだ。

丸山は語っている。身分制度が敷かれ、出生や家柄や年齢に縛られていた徳川時代は、武士や町人「であること」がすべての規範だった。だが、会社、政党、組合、教育団体など、多様な組織によって構成される近代社会においては「すること」に価値が移る。あらかじめ身分が保証されている封建社会の君主とはちがい、会社の上司や団体のリーダーがもっぱら業績によって評価されるのが、ひとつの例証である。「であること」が「状態」や「属性」なら、「すること」は「機能」といえる。しかしながら、実際にはどうか。政治家から官僚、活動家に至るまで「状態」的思考が氾濫しているではないか。ここから彼の批判は、「民主主義」を信奉する、いわゆる左翼リベラル派をもって任じている人々に向けられるのだ。(P28〜29、強調は引用者による)

 だから、日本国憲法の主権者「である」ことに安住していてはいけないのであって、憲法12条の「この国の憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の普段の努力によってこれを保持しなければならない」のであって、「その権利の行使を怠っていると」、その権利がなくなっているということも起こり得る、というのだ。この書を、もう一度読み直したい、そう思った。丸山眞男の再発見である。


 

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