再び、住井すゑさんに登場していただく。憲法9条に対する明快な新解釈に出会ったからだ。それは —— 憲法第二章「戦争の放棄」は、人間の人間に対する最高理性の誓いであり、それは究極的に”国防”を否定するものである(住井すゑ著、人文書院、1985年、p87~88) —— だ。敵を想定するから”国防”の必要を考えるわけだが、そのような考えについて、「人間不信もいい加減にしてくれ、と言いたくなる」と書いている。
しかし、今や、「”国防”と言う概念そのものが意味をなさなくなってしまっていること」を人類共通の認識にしなければならない。このことは、「全体的破滅を避けるという目標は他のあらゆる目標に優位せねぱならぬ」というアインシュタインの原則を知ってから感じていたことだが、ハンナ・アーレントの『暴力について』を読んで、その思いをさらに強くした。
二十世紀は、・・・暴力の世紀となった。けれども、現在の状況の中には、誰も予言しなかったが、少なくともそれに劣らず重要な要素がもう一つある。暴力の機器の技術的な発達が、今や、どんな政治的目標も、その破壊力には引き合わないし、武力紛争でそれらを実際に使用することも正当化できないところにまで達してしまったということがそれである。それゆえに大古から国際的な紛争における無慈悲な最終的裁決者であった戦争は、その効力の多くを失い、その魅惑のほとんどすべてを失った。『暴力について』(みすず書房、p97〜98)
二一世紀になって、「暴力の機器の技術的な発達」、つまり、核兵器の発達、そして拡散が強まり、”国防”という概念そのものが意味をなさなくなってしまった。一度狙われたら、益々国防など不可能になってしまったからだ。、”国防”という言葉のトリックに騙されてはいけない。
0 件のコメント:
コメントを投稿