朝日新聞(2020年10月15日)のインタビュー記事(「できない」が基軸の社会へ 出口康夫さんが語る未来)を読んで、新型コロナ後の社会を漠然としたものだが、明るいものとしてイメージすることができた。一つの大きな価値観の転換が迫られている、というのであれば、あるいは、大きな革命が進行しているのかもしれない、という淡い期待を抱いてしまった。
何れにしても、インタビュー後半で言及されていた「知的な公共事業」という耳新しい概念に、強い共感を持った。そして、この作業と、「人間は『できない』ものと考える」価値の転換が車の両輪の如く進むことで、新型コロナ後の社会は、真に明るいものになるなるのではないか、と思うようになった。これこそ、”災転じて福となす”である。なお、以下はインタビュー記事から引用、ただし、強調は引用者による。
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――新型コロナのパンデミックは何を浮き彫りにしましたか。
「一番重要なのは、自分や家族の健康ですら自分たちだけでは守りきれず、周りの人々、外の世界と切れ目なくつながっていることが誰の目にも明らかになったことです。自分の体の奥で起きることも、トランプ米大統領のふるまいと結びついている。グローバル化が身体の深部にまで刺さっているという実感をもたらしました」
――歴史上の衝撃的な出来事の中でも、コロナ禍は特別ですか。
「そう思います。ほとんど瞬時に広がったパンデミックです。世界大戦ですら中立国やアフリカの奥地など実質的には無関係なところがありました。大災害でも被災地という言葉が示すように限局されていました。今回は逃げ場がない、真のグローバル災害です」
「このまま明確な勝ち負けがないまま、ずるずるとニューノーマルになだれ込むかも知れません。その場合、社会にフラストレーションがたまり、弱者に八つ当たりする風潮が増幅されかねません」
――どうしましょう。
「いずれにしても社会は変わらざるを得ません。例えば遠隔化。ある程度社会が回るとわかった以上、もはや元には戻れません」
「とはいえ効率一辺倒でいいとは誰も思っていない。そうなると次はどんな社会をつくる『べきか』の問題です。座標軸を『立ち止まって、考える』ときだと思うのです」
――基本的な人間観を転換すべきだと主張されていますね。
「近代社会は、人間を『できる』ことの束ととらえ、『できる』ことに人間の尊厳を見いだし、自分のことを自分で決めることが『できる』という自己決定を倫理や法の根本に置きました。しかし近代社会のいろいろな限界やあつれきが表面化した結果、哲学でも人間の弱さやもろさに注目する動きが出ています」
「『できる』ことを人間の本質とすると、例えば障害者は本質の一部を欠いた存在となってしまいます。結果として、障害者と健常者との間に暗黙の上下関係が生じたり、極端な場合、障害者の存在意義すら否定する考えが出てくる一因にもなりえます」
「一方、人間の『できる』ことは様々な機械で凌駕(りょうが)されてきました。タマネギの皮をむくように次々に置き換えても知性という芯は大丈夫と思っていたら、人工知能(AI)が登場しました。思考実験かも知れませんが、AIが人間の知性を超えるシンギュラリティーが起きると全て置き換え可能になります。人間のかけがえなさ、尊厳さえ見失われる『人間失業』が起きてしまいます」
――では、どんな人間観を?
「百八十度転換し、人間は『できない』ものと考えるところから出発しようと私は主張しています。人間は自分一人では指一本動かせません」
――どういうことでしょう?
「3日間、体がマヒしていた人が突然指を動かせるようになったとしましょう。医学的に説明がついても、ずっと動かそうとしていた本人にとっては何も変わっていない。逆に言うと、私たちが意のままになると思っている身体が、次の瞬間には動かなくなるかも知れない。社会のインフラも同じで、私たちは様々なものに委ね、支えられた存在なのです。コロナ禍はそのことを実感させました」
「誰もが根源的な『できない』を抱えていて、支えられなければ一日たりとも生きていけない存在です。そこに、人間のかけがえのなさを見いだすべきなのです」
――人間の弱さに着目した福祉の取り組みなど補完的な動きはありましたが。
「基軸と補完の関係を交代させるべきです。人の能力を伸ばしたり活用したりすることも重要ですが、それはあくまで『できない』を基軸にした社会を補完する役割に回すべきです。主客交代です」
――「できない」ことの多い子どもや高齢者、障害者に優しい社会になるといいですね。
「根源的な『できない』は誰もが持っています。それをより多く持っている彼らは人間の『できない』を明らかにしている存在となります。人間は何事も一人ではできないという考えに立てば、例えば犯罪では犯人を支えてきた社会システムも責任の一端を負います。道徳的、法的な責任の考え方も大きく変わるはずです。一朝一夕には実現しないし、日本だけ変えてもしょうがない。それでも誰かが言い出してグローバル化自体のルールを変えていかなければなりません」
「人間は集団で群れてきました。3密回避で物足りなさを感じるのは、3密的な濃厚接触で互いの体温を感じることで根源的な『できない』を認め合ってきたからではないでしょうか。社会の遠隔化の中でも、こうした体験を得る機会を保つ必要があります」
――とりわけ哲学の役割は?
「人類は言葉を発明し、すべき事柄をその工程表とともに言語化し、集団で共有してきました。哲学の根はそこにあります。今、我々の社会は巨大になり、共有される概念もどんどん増え、抽象的になってきました。『人権』のような新しい概念や価値を生み出し、それを人々の間で定着させることで社会を変えていく。これこそが知的な公共事業としての哲学の営みです。それは哲学者だけでなくメディアや政治家、司法関係者など様々な人々によって担われるべき共同作業です」
「人文学は、よりよき未来、あるべき社会に向けて、効率化の一元支配に反撃する最後のとりでです。日本学術会議の問題と絡めて人文学のあり方が改めて問われているいま、その意義を社会のみなさんに一層訴えていかなければならないと感じています」(聞き手・大牟田透)
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