最近感じているのは、画家の人生(伝記)がわかると、絵の理解も深まり、わかる。すると、絵の魅力もわかってくる、ということである。
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| 海辺の母子像 |
例えば、ピカソには、青の時代の絵がある。最近、その時代の絵には、友人カサヘマスの自殺が深く関与していたことを知った。そのことを知ってから、それらの絵の魅力もわかるようになった。
原田さんの「一枚の絵との向き合い方」にも、これからの絵の鑑賞に大きな示唆を与えられた。
その絵と対峙するとき、いったい、どれほど長く激しい時の流れをかいくぐり、どれほど多くの人々の労力と愛情と支援をもって、その絵が私たちの目の前にやってきたのかと、つくづく思う。
一枚の絵は、あるときには祈りの対象であった。またあるときには欲望の権化であった。そしてまたあるときには、革命であり、マニフェストであり、魂の叫びであった。
私たちは、それらの絵、一枚一枚に向き合って、画家の思い、メッセージ、策略、愛、苦悩を感じ取る。
そしてその絵に癒され、励まされ、奮い立たされ、前を向いて歩き出すために背中を押してもらいもする。
なんら意識せずに、漠然と眺めたとしても、ふいに心の中へ飛び込んでくる絵もある。そういう絵には、観ている人にとって、何か決定的なものがあるのだろう。
私自身、子供の頃から、画集などを通して絵画に親しみ、しょっちゅう美術館へ出かけていっては好きな絵を探して館内を探訪したものだ。いつも、絵画の中から不思議な声が聞こえてくる気がした。その声をキャッチして、絵と会話する —— そんな少女であった。(『いちまいの絵 生きているうちに見るべき名画』、原田マハ著、集英社新書、2017年、p40〜41)
その絵と対峙するとき、いったい、どれほど長く激しい時の流れをかいくぐり、どれほど多くの人々の労力と愛情と支援をもって、その絵が私たちの目の前にやってきたのかと、つくづく思う。
一枚の絵は、あるときには祈りの対象であった。またあるときには欲望の権化であった。そしてまたあるときには、革命であり、マニフェストであり、魂の叫びであった。
私たちは、それらの絵、一枚一枚に向き合って、画家の思い、メッセージ、策略、愛、苦悩を感じ取る。
そしてその絵に癒され、励まされ、奮い立たされ、前を向いて歩き出すために背中を押してもらいもする。
なんら意識せずに、漠然と眺めたとしても、ふいに心の中へ飛び込んでくる絵もある。そういう絵には、観ている人にとって、何か決定的なものがあるのだろう。
私自身、子供の頃から、画集などを通して絵画に親しみ、しょっちゅう美術館へ出かけていっては好きな絵を探して館内を探訪したものだ。いつも、絵画の中から不思議な声が聞こえてくる気がした。その声をキャッチして、絵と会話する —— そんな少女であった。(『いちまいの絵 生きているうちに見るべき名画』、原田マハ著、集英社新書、2017年、p40〜41)

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