一部引用すると、次の通りだが、「わかりあえなくとも共に在ることはできる」ためには、その前提、つまり、「お互いが、お互いを尊重する」という関係が必要であると思った。国会議員の間に、ここで述べられているようなコミュニケーションが成立するようになったら、きっと日本の未来も明るくなるに違いない。
排他主義を「恥ずかしい大人の声」といい、わかりあえるもの同士がつるみ、わかりあえないものとの分裂が拡大していく時代にあって「コミュニケーションとは、わかりあうためのものではなく、わかりあえなさを互いに受け止め、それでもなお共に在ることを受け容(い)れるための技法」という。わかりあえなくとも共に在ることはできるという実体験からの素直な感覚。多数の言語が混ざり合ってつくる共にある未来。言葉の共有地(コモンズ)を求めて場がつくられてゆくことへのこれからに期待したい。(評・長谷川逸子・建築家)
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