2020年3月6日金曜日

一人一人の命は、唯一の尊い命である

 郡山市立美術館で開催されている「石田智子展」に行ってきた。作品も良かったけれど、雑華(ぞうけ)という言葉に込められた仏教の思想に感銘を受けてきた。
無数の紙燃で作られている


雑華一ありのままに
 雑華(ぞうけ)という言葉は 「華厳経」 に由来する。 華厳は読んで字のごとく美しい花をもって飾ることであるが、 美しい花とは、人目につく花や色鮮やかな花だけでなく、 季節ごとに路傍や野山に咲く花、 名も知られずひっそり咲いている花も均しくふくまれる その華一つ一つはその土地その季節だけに咲いた唯一の華である。 「雑華」 は尊い命の喩えで、大宇宙に存在する全てには「中心」がなく「純」なものもあり得ないため「雑」とされている。私はこの「雑華」という言葉を目の前の自分のこととして考えてみた。
 気候が異なる慣れない土地と経験のなかった禅寺での生活の中で、 時々ではあるが、 紙を切って燃り、 紙燃(こよリ)を作るという単調な作業を20数年間繰り返してきた。 今回の展示も15万本ほどの紙燃とコラボレーションする。 作品展示の時、私が最も大切にしている事は、 与えられたその場を 「活かしきる」 ということ。 紙燃を作ることは、 おしゃベりしながらでもTVを見ながらでも乗り物の中でも出来る。 だから制作していると実感出来るのは展示している時だ。どんなに前もって考え物理的な実験をしていても、 現場ではいろいろな問題が出てくる。 私が前もって考えていたことなど吹っ飛んでしまったりする。 だから注意深くその場が持っている条件を飲み込みながら、 その空間が最も美しく感じられ、 且つ私が作った紙燃が生き生きと見えてくるのはどんな状態か。 空間と 「素」になった私と作った素材が絡み合い、 一体となれる瞬間を探す。 それがインスタレーションだと考えている。
 Alが凄い早さで進む中、 世の中や自然の変化も恐ろしく大きく、 対する自分の存在はいかにも小さい。 しかしどんなに小さくても、 自分は大宇宙の膨大な出会いの中からたったーつの御縁がつながり 生命を頂いていることも間違いない。雑華という言葉は「華厳経」の中で 「雑華をもって荘厳する」 と使われる。 自分はいかにも小さな存在だし、未熟だし、 歪んでもいるが、 ここまで連綿と伝わってきた尊い命を無数の雑華として活かしきりたいと思う。願わくは、隣り合う沢山の人々や周りを包んでくれる環境と響き合いながら。(石田智子・下線は橋本

 「華一つ一つはその土地その季節だけに咲いた唯一の華である」という華を「連綿と伝わってきた尊い命」と重ね合わせて考えているところが素晴らしい。だから、一人一人の命一つ一つは、その土地に咲いた唯一の尊いである」という平等思想に読み取れる。

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