戦争は長期化して、日本国内の物資は極度に欠乏し、国民生活が窮迫していったあげく、米空軍の空襲により、東京が焦土と化するという経過をたどることになっております。「跡は唯灰の町、焦土の町、死骸の町である。人間の焼ける臭気が風に連れて鼻を打つ」というような描写がありまして、実際に行なわれた米英との戦いの結末をはっきりとこの時点で予見しております。民間人である水野が、これだけの予見ができたとすれば、あらゆる国家機密について、精細なデータを把握していた最高権力者が、予見できなかったとすれば、それは重大な過失であり、予見していてなお勝算の見込みなしに、戦いを始めたとすれば、これは未必の故意による国民の大量虐殺の責任を負わなければならないと思います。(『家永三郎憲法裁判証言集』、 p105)
これを読んで、実際に『興亡の此一戦』を読んでみたいと思って調べてみたら、『水野広徳著作集の第3巻』にあることがわかった。そこに、「日米戦争と東京空襲」という項目があって「組織と統制ある決死の飛行機百機の来襲に対しては、如何に勇敢なる防禦軍も、如何に巧妙なる防禦法も絶対完全に敵を防守することの保証は出来ない、とは専門家の一致した意見である」(『水野広徳著作集の第3巻』 、p282)。
空襲を受けて「一時間を出でずして、山手も、下町も、全市忽ち火の海と化する。河と云う河。堀と云う堀は、逃げ場を失いたる避難者の、悲鳴号泣の修羅場と変ずる。
これぞ東京が空襲を受けた時の概況である」(上同、p283)
一九三二年というと満州事変の頃で、真珠湾攻撃の9年前である。その頃にすでに日米戦争と東京の空襲を予言されていたのである。しかも、生々しい空襲の実態を。にも関わらず、・・・。
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