こうした主張は、「世界の紛争は武力によって解決しなければならない」という前提の元に成立する議論です。しかし、世界の紛争を話し合いによって平和的に解決する方法もあるのです。驚くことに、マッカーサ・ノート(46/2/3)にも「日本はその防衛と保護を、いまや世界を動かしつつある崇高な理想にゆだねる」(『憲法講話』、長谷川正安著、法律文化社、p170)と書かれているのです。
日本国憲法は、前文に「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」とあるように、崇高な理想そのものです。その気になれば、崇高な理想に従って国際紛争を解決することは可能なのです。
そもそも、法律(法治主義)の存在そのものが、「武力による紛争の解決」に対峙する概念です。ことあるごとに武力を持ち出すのであれば、そこには法律などいらないのです。
少なくとも現代の社会では、法律があり、法律の専門家もいますから、紛争は平和的に解決できます。日本の国内紛争に限っては、鉄砲を持ち出してやり合うようなことはないのです。同じように、国際紛争も、武力に頼らず、平和的に解決することは可能なのです。
事実、特許紛争など、経済紛争は平和的に解決しています。さらには、政治的国際紛争を平和的に解決した実績もあります。1989年には、軍隊のない国として有名なコスタリカのアリアス大統領が、国際紛争を平和的に解決したということでノーベル平和賞を受賞しているのです。
日本は被爆国です。当然、被爆国として、核戦争の危機を回避する先頭に立たなければなりません。しかし、国際紛争を武力によって解決しようとしている限り、それは無理です。核兵器が、強力な最終兵器として君臨してやまないからです。国際紛争の解決手段として武力を用いようとしている限り、核戦争の危機はなくならないのです。
「核戦争の危機など大げさな」と言う人もいるでしょう。しかし、ケネディ、ジョンソン両政権で国防長官を務めことがあるマクナマラ氏も、「依然として大量の兵器が一触即発の警戒体制にある以上、冷戦の最悪期と同様、ちょっとした手違いや誤った判断で世界規模の大虐殺が起こりうる」と言っているのです、核戦争の危機などないどころか、核戦争が起きる「可能性は、子供がマッチと火種を一緒に手にしているのと同じくらい現実的で差し迫ったもの」(2005年06月20日、朝日新聞、カレン・ヴァン・ウォルフレン著「核の怪物 差し迫った脅威」)なのです。今こそ、崇高な理想に輝く日本国憲法を守り、核戦争の危機を回避する先頭に立ちたいものです。
今年のノーベル平和賞受賞は日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)に決まりました。この事実は、日本に”核戦争の危機を回避する先頭に立ってほしい”と期待していることを示しているのではないでしょうか。 2005年06月24日(2024年10月23日第二稿)
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