「第二次大戦開始の時から、日本の周囲では、様々な事件が起り様々な努力が払われ、様々なことが考えられていたにも拘らず、我々は、それを知り理解し消化することを、或る時はやむを得ぬ管理方針により返る時は偏狭な圧迫によって禁ぜられてきたし、禁ぜられたままの井中蛙(傍点部分)的生活を常態と考えやすくなって」(注)いました。「特に戦前の日本においては、新知識を輸入することは国賊非国民となることであり」(注)ました。その結果日本は、滅びたも同然の敗戦を迎えてしまったわけです。
だからこそ、「国民がどんな新しい知識でも平気で我物とすることを、国民全体が志し、国民全体がこれを望むならば、どんなに日本は生々とした国になるか判らぬし、それでこそ、日本固有の文化も新しい道に甦ることになるのであろう。高度の資本主義の上に立つアメリカの民主主義も進行中の共産主義の上に立つロシヤの民主主義も、皆、我々が平然として研究し論考すべき対象でなければならず、日本という国の実情に一番合致した方針を樹てるように考えるべきであると思う」(注)というのです。
しかし現実は、軍事予算は大幅増としながら、教育予算は年々削られ、大学の授業料値上げが検討されているのです。このままでは、マルクスが指摘しているように「悪魔に身をまかせたのも同然で、滅びていくに決まって」います。大学の授業料値上げなど、もっての外です。今こそ軍事費を削り、教育立国を目指すべきです。
(注)「進歩について」『渡辺一夫著作集 10・偶感集 上巻 』、筑摩書房、1970年、p402~403)
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