そこで考えました。これらは、守りの姿勢です。しかも、守りの耐性が発動されたら、一気に平和は崩れてしまいます。そもそも、平和を守ろうとする手段が暴力的だというのがおかしいのです。だから、「平和は、それ自身にふさわしい手段である対話と理解、寛容と許し、自由と民主主義を通じてのみ手に入れることができるということを理解しなければなりません」(註)
つまり、平和というものは、守るものではなく、平和的な手段で創り上げていくものだったのです。考えてみたら、ASEAN地域の平和も、そうして創られてきたものです。軍事力を用いては平和は創り上げることはできないのです。
(註)『平和をわが手に コスタリカ大統領のノーベル平和賞感動の伝記』、竹井博友著、竹井出版、p190
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