2023年11月24日金曜日

壊れていない車(憲法)は修理するな

 興味深い憲法に対する例えを見つけました。「憲法は、その上に国家という車体を載せているシャシーのようなもの」(注1)だというのです。だから、そのシャシー(憲法)は、

 欠かせない大切な骨組みだが、滑らかに走行しているときにはまったく気にならないし、する必要もない。危うい場面に遭遇したり、スピードを出し過ぎてきしんだりしたときには、どこか傷んではいないか、荷重が重すぎるのではないか、などと点検しなければならない。
 しかし、大概の場合は部品を取り換えたり、板金を打ち直したり、エンジンの故障を直せばすむ。シャシーなどは、めったなことで取り換えるものではないのである。(注2)
 この本には、シャシーの一部を変えた場合にことは書いてありませんが、容易に想像がつきます。全体のバランスが崩れてしまい、かえって危険になるはずです。日本国憲法も同じです。三原則が揃って初めて日本国憲法なのです。九条を変えてしまったら、直ちに基本的人権と国民主権にも影響し、日本国憲法は瓦解してしまいます。
 それでは、九条を変えてしまったら、近隣諸国にどのような影響があるのでしょうか。
 中国や韓国など近隣諸国にとって憲法九条は、日本が再び危険な国家にならないための象徴的な存在になっている。改憲で無用な警戒心を抱かせ、相互不信と軍備増強のいたちごっこといった事態を招いてこの国の安全保障環境を不安定にさせるのは、どう考えても得策ではないと考えるからだ。(注3)
 そうなのです。「改憲で無用な警戒心を抱かせ、相互不信と軍備増強のいたちごっこといった事態を招いて」しまうのです。そうでなくとも、「相互不信と軍備増強のいたちごっこ」は拡大するばかりです。改憲は、そこに油を注ぐようなものなのです。
(注1)『改憲幻想論 : 壊れていない車は修理するな』、佐柄木俊郎著、朝日新聞社、2001年、p1
(注2)上同、p1〜2
(注3)上同、p4

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