新しい思想に出会いました。「インド大乗仏教の流れの中から生み出された心に関する深い洞察を含む理論です。日本にはすでに七世紀に導入され、以後千三百年あまり伝承されてきたものです。そういう意味では大変古いものです」(『コスモロジーの創造』、岡野守也著、法蔵館、2000年、p160)。この理論によると、世界的な問題になっている戦争や環境問題に対して統一的に考えられるところが、何よりの魅了です。
唯識の視点から言うと、三つの問題は基本的にはまったく同じ根から発生しています。それは、一言で言うと「分離的認識」、すなわちすべての存在を、ばらばらに分離したものとして捉える認識のあり方です。仏教の用語では「分別知」といいます。これは、人類が言葉を獲得し、言葉を使って世界や自分を認識するようになって以来、つまり人類が人類としての歩みを初めて以来抱えてきた問題で、現代においてそれが頂点あるいは限界に達しつつあるのだと言っていいでしょう。
簡単に言うと、言葉、とりわけ名詞・代名詞を使って世界を見ると、木なら木、私なら私という名詞・代名詞に対応した分離した「もの」があるかのように見えてしまい、それを成り立たせている無数の関わり・つながりが見えなくなってしまう傾向があるということです。
①(戦争の根本原因〕
もちろん個々の戦争には複雑な事情が絡んでいるわけですが、問題点をはっきりさせるためにあえて単純化して言うと、向こうとこちらの集団が分かれて対立しているという分離的認識なしには、戦争は起こりえません。自分たちとは別の集団があって、「あいつらが自分たちの利益を侵害する、名誉を傷つけた」とか、「自分たちの信じている正義に反している」とか、「あいつらを侵略、征服、支配すると、自分たちがもうかる」といった考えがあって初めて戦争になるわけです。
②(環境破壊の根本原因〕
環境破境・資源の枯渇も分別知によるものだと言って間違いありません。自然・地球環境を人間とは分離した向こう側にある対象と認識し、それをいろいろに細かく部分に分けて捉え、人間の都合のいいように作りなおすことができる、そうしていい、というのが、科学・技術・産業の基本にある考え方だと思います。
それがまだ未発達で小規模の間は、自然にはそうとうな自己修復力がありますから、それほど問題にはなりませんでした。しかし、近代になって科学技術と産業活動が驚くべき大規模にまで発展してきたとき、ようやく地球環境の自己浄化力には限界があること、地球の資源にも限りがあることが明らかになってきたのです。(上同、p161〜162、強調は引用者)
どうでしょうか。
ここで気づいたことですが、 「分離的認識」の対極にある思想は、一七条憲法第一条の「和をもって貴しとなす」です。そういう意味で、この思想こそ、平和思想の原点です。
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